今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

上方落語の四天王と呼ばれた・5代目桂文枝の忌日

2009-03-12 | 人物
今日・3月12日は、上方落語の四天王と呼ばれた・5代目桂文枝の2005(平成17)年の忌日。
5代目 桂文枝は、1930(昭和5)年4月12日、大阪・天六(天神橋6町目)に生まれ、後に大正区に移る。本名は長谷川 多持(はせがわ たもつ)。 終戦後大阪市交通局に就職するが、同僚でセミプロ落語家であった3代目桂米之助の口ききで、趣味の踊りを習うため、1947(昭和22)年に、日本舞踊坂東流の名取でもあった4代目桂文枝に入門。その後しばらくは市職員としての籍を置きながら、師匠が出演する寄席に通って弟子修行を積み、桂あやめ(2代目)を名乗り大阪文化会館で初舞台を踏む。ネタは「小倉船」(以下参考に記載の世紀末亭/【上方落語メモ第3集】その122小倉船参照)だったそうだ。入門当時は上方落語が衰退していたこともあり、一時期は歌舞伎の囃子方(鳴物師)に転向、結核を病んで療養生活を送った後、落語家としての復帰を機に3代目桂小文枝を襲名(1954年【昭和29年】」)、1992(平成4)年8月3日には5代目桂文枝を襲名している。
この5代目桂文枝襲名披露公演は、同年8月22日の神戸文化ホール(中央区)を皮切りに大阪・国立文楽劇場、東京・新宿末広亭など全国35ヶ所で行なわれている。冒頭向かって、左の画像は、コレクションのチラシ・1992(平成17)年8月22日、神戸文化ホールでの五代目桂文枝襲名披露のものである。しかし、何故、文枝が自分が生まれた大阪や京都、又東京などではなく、神戸で一番最初に襲名披露を行なったのか?そのことについて、朝日新聞には以下の様に書かれていた。
“戦後の一時期、人気が低迷していた上方落語を興行面で支えてくれたのが、神戸を拠点に落語会を手掛けた演芸プロモーターの楠本喬章さんで、その20年来の労に、報いるためのもの”だったそうだ。そして、南京町のレストランで8月5日に記者会見した分枝は「35年前に協会が出来た時は、落語家はわずかに12~3人。それが今は150人ほどにまで増えた。この間楠本さんには一緒に苦労してもらいました。」と同席した楠本さんをねぎらい。また、「最初の公演は必ず大阪でなきゃいかんということもない。神戸では、お客さんが聴こうという姿勢で来てくれるので、なんぼでものれますねん。」と・・・、神戸っ子にとってはうれしいことを・・・。
以下参考に記載の「※神戸新聞Web News 笑いに恋して もとまち寄席物語」によれば、楠本さんは、1971(昭和46)年、当時、まだ、関西に定席はなく、落語会は京都市民寄席など限られていたことから、上方落語協会会長(第2代会長)だった笑福亭松鶴(6代目)のもとを訪れ、「神戸で寄席をやりたい」と直談判。翌年、JR兵庫駅近くに、倉庫を改装した小さな寄席・地名の柳原から一字を取ってつけられた「柳笑亭」が誕生し、月5日間ほど開催されたという。 “松鶴のほか、3代目桂米朝3代目桂春団治、小文枝(故:文枝)ら(この4人は、昭和の「上方落語の四天王」と呼ばれている。)がトリを飾り、若手勉強会では鶴瓶(笑福亭)や桂文福らが高座に上がった。”という。その後、もとまち寄席「恋雅亭」が1978(昭和53)年に開席した。
終戦後は、良くラジオ・テレビで落語をしていたので、私も良く聴いたし、落語は大好きだが、小屋に通うほどでもなかったので、今「柳笑亭」がどうなっているのかは良く知らない。
その後に出来た、もとまち寄席「恋雅亭」は、神戸市中央区元町通3丁目にあるゴーフルで有名な神戸凮月堂ホールで行なわれるので、神戸人の間では通称「凮月堂の落語会」として知られている。
話しは戻るが、神戸文化ホールでの文枝の襲名披露公演では、初代分枝の十八番『三十石』が演じられたようだ。明治初期、上方落語中興の祖と言われる初代桂文枝は、当時流行していた唄や踊り交じりの派手な噺ではなく、素噺で評判を取り、この芸風は、2代目・3代目へと引き継がれてゆくが、また、前座噺(以下参考に記載の「※音盤 壱 前座噺」参照)の『三十石』を大ネタに仕立て上げた。
上方落語の中で中心をなす「旅ネタ」は、「東の旅」「西の旅」「南の旅」「北の旅」の四つに分かれており、その「東の旅」の本題は、「伊勢参宮神乃賑」で、「発端」「奈良名所」「煮売屋」、「七度狐」、「軽業」、「三人旅」、「運つく酒」、「矢橋舟」、「宿屋町」「こぶ弁慶」、『三十石』などで構成され、喜六と清八による伊勢参りの道中を描いたもの。その中でも、『三十石』は、最後の部分で、京の伏見と大阪の八軒家を結んでいた三十石舟を題材にしたもの。伏見港を賑わせた三十石船は、全長17m、幅2.5mの細長い形の船で、苫で屋根を葺いただけの簡単な作りだったようだ。夜に伏見から乗ると大阪の八軒家には朝に付いた。摂津名所絵図「八軒家」には当時の様子が生き生きと描かれている。以下参照。
八軒家かいわいマガジン「船が着くたびおおにぎわい。八軒家は、大阪の玄関口だった?
http://www.hachikenya.org/hatikenyahama/index.html
主人公の2人が京からの帰途、伏見街道を下り、船宿・寺田屋(江戸時代初期から続く船宿で、幕末期に起こった寺田屋事件と坂本龍馬襲撃事件【寺田屋参照】の舞台となった場所として知られている)の浜から夜舟に乗り込むと船中はいっぱい。いよいよ船出という時、美人が乗ると思い込んだ男の客の妄想や、船中のドタバタなどが続く。ドラの鳴り物が入った舟歌もあり、にぎやかな話になっている。
『伊勢参宮神乃賑』(東の旅)や『兵庫船』(西の旅)などの道中噺は、元々基礎訓練のための前座噺で、前座が張扇と小拍子を用いて賑やかにしゃべる。3代目桂米朝一門では入門するとまずこの『東の旅』より『発端』を習い覚えるという。しかし、、「三十石」など、挿入されている船頭の唄が噺家の聴かせどころとなっており、ただ騒いでいるだけでは音曲噺にならない。浄瑠璃や日本舞踊、地唄、三味線などの素養が必要なため、修得には時間がかかり、素人芸ではどうにもならない噺のジャンルである。
初代桂文枝は、この噺を百両で質入し、その間は高座に掛けなかったため、見かねた贔屓客が質受けしたという伝説もあるくらいだから当時から非常に人気のあるネタであった。この落語は、その後、2代目桂小文枝、5代目笑福亭松鶴が得意とし、6代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝、2代目桂枝雀なども得意としたもの。以下参考に記載の「上方落語メモ・世紀末亭」には、「東の旅」シリーズが掲載されており、その中に「三十石」のテキストもある。囃子もあるが、その音源は、1990・12・14枝雀寄席(ABC)のものだそうだ。以下参照。
【上方落語メモ第3集】その150 / 三十石
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug150.htm
上方四天王はそれぞれに特色があり、お酒を愛した噺家・松鶴は大好きな酒飲みの噺(※バーチャル寄席・笑福亭松鶴師匠編参照)を、春団治は粋な噺(同:桂春団治師匠編参照)、米朝は正統派(同:桂米朝師匠編参照)というところだが、分枝は、上方落語特有のお囃子による音曲を取り入れた演目を得意とし、この『三十石』や「蛸芝居」特に「船弁慶」は秀逸で定評がある(同:桂文枝師匠編参照)。
同時に、女性を主人公とした演目「たちぎれ線香」(【上方落語メモ第2集】その86参照)や「三枚起請」(【上方落語メモ第3集】その107参照)、「悋気の独楽」(【上方落語メモ第6集】その251 参照)なども得意とし、華やかで陽気な語り口が多く、また女性の演じ方は「天下一品」と定評があり、ただ1人の女性の弟子3代目桂あやめさんは、「高座であでやか。 師匠のおっかけが高じておしかけ入門した」という。分枝は初演の噺がある時は、1週間前から殆ど眠らず稽古をしたという(君枝夫人。2005・04・25朝日新聞)。
落語にかける情熱は晩年まで衰えず次々と新しいネタをに挑戦し、新作落語も意欲的に手掛け、2004(平成16)年4月、和歌山県新宮市の新宮地域職業訓練センターにて、紀伊山地の霊場と参詣道の世界遺産登録運動と連携した自作の新作落語「熊野詣」(以下参考に記載の「※熊野詣/創作落語・桂文枝【五代目】」参照)をネタ下ろし。同年中に大阪・国立文楽劇場、東京・国立演芸場でも公演し、好評を得る。
冒頭右の画像は、2004(平成16)年6月5日、東京・国立演芸場で、最後の創作となった「熊野詣」を披露する分枝。
分枝は、戦後、吉本興業に所属し、毎日放送の専属となり、テレビ・ラジオ番組でも活躍した。吉本では漫才中心のプログラムの中にあり落語はどちらかといえば冷遇されていたが、そのような環境の中で、三枝きん枝文珍小枝といった弟子を育てて吉本の看板に育てた。
しかし、分枝は、名跡差配に関して、弟子に桂派の名跡の襲名・改名はあまり好んでいなかったという。それは、過去に大きな名跡を継いで苦労している落語家を見てきた為、弟子たちには薦めなかったのだそうで、一門で襲名・改名を行ったのは直弟子では「枝光」「あやめ」「文昇」「枝曾丸」この4人のみで「枝雀」「ざこば」「南光」といった桂派に縁のある名前も一門の違う米朝一門が襲名している。「藤兵衛」「圓枝」に関しても東京の落語家が襲名した。弟子が直々襲名したいと名乗り出ても却下していたという。
分枝のあゆみの絶頂は、1992(平成4)年の五代目桂文枝襲名披露だったともいわれている。芸が充実しきった時に大名跡を継いだ。上方落語協会会長時代の1991(平成3)年に彦八まつりを始めた。米国(1994年)や韓国(1989年)での公演もした。創作落語「熊野詣」の公演後の翌2005(平成17)年1月から体調不良で入院し、3月12日に74歳で亡くなった。
念願の落語定席は子弟の三枝の尽力で、翌・2006(平成18)年には大阪市北区に (「天満天神繁昌亭」)できることになり、「どんな出番でも高座に上ってみたい」と出演を楽しみにしていたが叶わなかった。
今、上方落語協会会長には、桂三枝がなっており、その三枝が、5代目桂文枝の名でもある大名跡「桂文枝」の6代目を、また、おとうと弟子の桂きん枝も師匠の前名「桂小文枝」の4代目を襲名することになったという。ともに師匠夫人の了解を得ており、所属する吉本興業と話し合い、来年(2010【平成22】)年以降に襲名披露を行うとのこと。きょうだい弟子がほぼ同時期に師匠の2つの名跡を継ぐのは極めて珍しい。
しかし、振り返ってみると、私は、落語は大好きだし、昔、ラジオ・テレビで良く聴いたが、わざわざ公演を見に行くほどの熱烈なファンでもない。従って、私にとっては、三枝は「いらっしゃ~い!」のギャグで売れていたただの吉本のテレビタレントでしかなく、きん枝にいたっては、かっては、テレビなどにも良く出ていたが、度重なるトラブルで破門宣告を受けていた存在。そんな、2人が、何時どこで、どれだけの修行を積んだのか知らないが、、5代目桂文枝がなくなった途端に、吉本興業と話し合いの上で、師匠夫人の了解を得たと、揃って、名跡を継ぐ・・・と言っても、ピンとこないのが、正直な気持ちである。何か、最近の芸能が軽くなったように思うのは、わたしだけだろうか・・・・。
最後に、ちょっと、珍しい、千原英喜作曲、大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団演奏による、「淀川三十石舟歌」というものを見つけたので、聴いてみませんか?以下です。
千原英喜作曲、大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団演奏「淀川三十石舟歌」
http://dic.nicovideo.jp/v/sm3680642
(画像は、向かって、左:コレクションのチラシ・1992年8月22日、神戸文化ホールでの5代目桂文枝襲名披露。右:2004年6月5日、東京・国立演芸場で「熊野詣」を披露する桂文枝。2005年3月14日、朝日新聞より)
参考はこのブログの字数制限上、別紙にしており、⇒ここに有ります。

上方落語の四天王と呼ばれた・5代目桂文枝の忌日:参考

2009-03-12 | 人物
桂文枝-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E6%96%87%E6%9E%9D_(5%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
バーチャル寄席
http://www.kakaa.or.jp/~fukasawa/
上方落語メモ・世紀末亭
http://homepage3.nifty.com/rakugo/index.htm
天満天神繁昌亭 落語家名鑑[桂文枝( 五代目 ・ 故人 ) ]
http://eonet.jp/hanjotei_db/data/rakugoka/index.php?hanasika_ID=50010
geinin.jp: 桂文枝(五代目)
http://www.geinin.jp/prof/kt_bunshi_5.html
※熊野詣/創作落語・桂文枝(五代目)
http://www.midosuji.net/katsurabunshi/
※神戸新聞Web News 笑いに恋して もとまち寄席物語
http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/0308kobe/01.html
ようこそ神戸元町商店街ホームページへ!恋雅亭人気の秘密は“気”
http://www.kobe-motomachi.or.jp/cont06/557.htm
もとまち寄席-恋雅亭
http://www.oct.zaq.ne.jp/katsuraharukoma/rengatei/renga-top.htm
凮月堂 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%9C%88%E5%A0%82
※音盤 壱 前座噺
http://www.deston.net/rakugo/rakugojuku/01_disk01.html
京都新聞|ふるさと昔語り(242・完)三十石(京都市伏見区)
http://www.kyoto-np.co.jp/info/sightseeing/mukasikatari/index.html
八軒家かいわいマガジン
http://www.hachikenya.org/hatikenyahama/index.html
桂三枝さん、師匠の名跡「桂文枝」襲名へ きん枝さんも「小文枝」に
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/090101/tnr0901010121000-n1.htm
エンタの仏様/桂三枝さん「文枝」襲名 きん枝さんは「小文枝」に
http://turezurekusa.jugem.jp/?eid=1323
今日のことあれこれと・・・ 「天満天神繁盛亭」開館日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/ed71ecd0f24a3a901f94f0fc9559ee0c