今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

大阪で国防婦人会発足。白エプロンにたすきがけで銃後体制を支える。

2009-03-18 | 歴史
1932(昭和7)年の今日・3月18日、大阪で国防婦人会発足。会員は早速活動をはじめ、大阪駅を通過する出征兵士に炊き出しのサービスをした。
10月24日には全国組織の大日本国防婦人会が発足。銃後の固めを急ぐ軍部の指導でつくられたもので発足当時の会員は50万人だったという(朝日クロニクル「週刊20世紀」)。
1904(明治37)年、日露戦争が勃発、1937(昭和12)年には、日清戦争が始まり、1941年になると、太平洋戦争へ突入すると戦地に赴く兵士の数は急激に増えた。銃後を守る女性たちは、兵士の無事を祈って「千人針」をつくり、出征して前線〔戦地)で戦っている兵士のために慰問袋を贈った。「千人針」は手拭ほどの大きさの白木綿の布に千人の女性の手で一針づつ縫って赤い糸の結び目を付けたものである。戦地に向かう兵士がこれを身につけていれば敵の銃弾から逃れると信じられていた。この風習は日露戦争の頃関西で流行したもので、そのころは、「千人結」と呼ばれていたそうだ。それが「千人針」として、再び全国に広まったのは、1931(昭和6)年満州事変の頃からだそうである。
赤紙で召集令状受け取った男達の母や妻、姉妹達は隣近所の女性に頼んで糸を結んでもらった。身内のものだけでなく、国防婦人会、大日本婦人会、大日本連合女子青年団なども積極的に千人針作りに参加した。このような母や妻たちの無事帰還の祈りをこめて贈られた千人針を兵士は肌身離さず大切に持っていたのである。
戦前の1936(昭和11)年から国民歌謡と言われるものがつくられるが、1937(昭和12)年7月に盧溝橋事件が起こると、歌の世界にもだんだん戦時色が濃くなり、 国民歌謡も本来の主旨とは違った方向へ曲げられていった。サトウハチロー作詞の「千人針」が放送されたのは、8月23日からだという。この曲は知らないのでどんな曲かと思って検索してみると曲はなかったが、以下参考に記載の「戦時中の国内生活・戦争第一部内地編」に詩が載っていた。一番だけ引用させてもらうと以下のようなものである。
「橋のたもとに 町角に 並木の路に 停車場に 
       千人針の 人の数 心をこめて 運ぶ針」
私も戦前の小さな子供の頃に、出生する兵隊さんのために私の母や近所の人達も協力して布に赤い糸で千人針を結っていたのをおぼろげながら覚えている。千人針の起源は不明であるが、無事に帰還して欲しいという願いを大勢の人の力に頼った合力祈願が始まりのようである。千人針には「死戦(4銭)をこえる、苦戦(9銭)を免れるという縁起をかついで、5銭や10銭硬貨を縫い付けたものもあったようだ。一方戦地の兵士を慰問するための薬や石鹸、日用品、缶詰やキャラメルなどの食品、将棋やゲームなどの娯楽品などを袋に詰めて送ることも盛んに行われた。これが、慰問袋である。これも日露戦争の時に婦人矯風会(以下参考に記載の「日本キリスト教婦人矯風会・歴史」参照)が贈ったものに端を発し、その後、満州事変のころから新聞社の呼びかけにより慰問袋を送る運動が展開され、国防婦人会などが活発に動いた。
日本の女性による婦人会発足の歴史を振り返ってみる上において、以下参考に記載の「素朴な善意が生んだ国防婦人会」に興味深いことが書いてあった。少し抜きがいさせてもらうと以下の通りである。
1931(昭和6)年の12月13日の朝日新聞(大阪)に『渡満の井上中尉婦人、紋服姿で端然自刃す 「死んで皆様をお守りします」と健げな遺書を残して』・・・と報道されているように、数え年21歳の、井上清一中尉の新妻、井上千代子が、夫の出征前夜に「後顧の憂いなく、お国の為に働いて下さい」と自刃したというのである。
その井上清一中尉は、翌年・1932(昭和7)年7月9日に起きた満州楊柏堡村付近の平頂山集落の多くの住民を虐殺した事件(「平頂山事件」)の指揮官(小隊長)でもあった。この新妻、井上千代子の壮烈な死は、世間から「武人の妻の鑑」「昭和の烈婦(れっぷ=節操が固くて気性のはげしい女。烈女)」と賞賛され、新聞で大々的に報道される一方、日活映画『ああ、井上中尉夫人』、新興キネマ『死の餞別』として映画化されて、軍国美談として仕立てられたという(以下参考に記載の「たむたむ(多夢太夢)のHP/死の餞別」参照)。
そりゃ~この話は、軍部にとって非常に都合が良かっただろう。しかし、マスコミがこのような事件を美談として賞賛し、前線の兵士のみならず、女性たちににも国策として銃後を守る者へと誘導していったのだよね~。
そのような中で、この事件に接した井上夫妻の媒酌人であったという安田せいと言う女性が、「千代子さんの尊い死をこのままにしてしまうわけにはいかない」と、強く感じたようであり、大阪港・築港から次々に出征する兵士たちへの、せめてもの慰めにと、千人針や湯茶の接待をするようになったという。この井上千代子自刃の3ヶ月後の翌・1932(昭和7)年3月18日、大阪市港区市岡第5尋常小学校(後の魁国民学校 戦災で全焼し廃校に。 今の市岡中学校の場所)において「大阪国防婦人会」が結成され、「国防の完全を期するには、銃後の婦人が男子と一致協力しなければならない」と叫び、「国の守りに台所から家庭から奮い立て」と言う誓いを立てたという。そして、冒頭掲載の画像に見られるような白エプロンにたすきがけの姿で兵士達の見送りと世話をするなどの活躍を始めるのであった。
当時、銃後の女性の組織として北清事変の慰問使の奥村五百子(以下参考に記載の「去華就実」と郷土の先覚者たち 第13回 奥村五百子」参照)により,出征軍人の慰問と軍人遺家族の援護を目的に、1901(明治34)年設立の「愛国婦人会」や、1930(昭和5)年内務・文武両省が設立していた「大日本連合婦人会」(理事長は昭和天皇の皇后〔香淳皇后=島津良子〕の縁者として東宮女官長を務めていた島津治子)などがあったが、これらは、高い会費で、その会費収入をもとに軍を支援する資産家たちの会だった。しかし、安田せいの作り上げた「国防婦人会」は、一般の庶民が安い会費で、そのかわり行動をすることで奉仕した。そのため、このような地道な運動が、爆発的に広がり、軍部の推薦もあり、2年後の年末には全国で123万人もの巨大組織になっていったという。(国防婦人会の詳しいことは以下参考に記載の「国防婦人会館」を参照すると良い)。
戦時体制が成立しスタートした1938(昭和13)年、国家総動員法が国会で成立し、国民は国家の為に総動員された。1937(昭和12)年の「盧溝橋事件」に始まるいわゆる15年戦争(大東亜戦争・太平洋戦争)は、戦争が激しくなるとともに、国家、国民を挙げての「総力戦」として、国防婦人会(陸海軍省監督)と、愛国婦人会(厚生省監督)、大日本連合婦人会(文部省監督)の統合が提起され、1942年、統合して「大日本婦人会」が生まれた。そして、前線の兵士のみならず、国策として、主婦達も銃後を守る者として、戦争に組み込まれていった。
善意で始めた白エプロンにたすきがけの姿で兵士達の見送りと世話をしていた国防婦人会は、結局、従来の戦争は男がし、女は家庭を守るものといった思想を超えて、婦人会というよりも隣組の戦力として利用され、多くの婦人を戦争へ参加させていく役割を担わされてゆくことになるのである。そして、本来は、そのようなことにならないように意見を述べていかなければならないはずのマスコミが逆に、リードしていたというのがいかにも皮肉である。政府のやっていることなどに対して、つまらぬことで揚げ足を取っているマスコミも、大事なところでは、ご機嫌を伺っているといった姿勢は、今も昔も変らないような気がするのだが・・・。
(画像は、大阪駅を通過する出征兵士に炊き出しのサービスをした国防婦人会の会員。朝日クロニクル「週刊20世紀」より)。
参考:
銃後-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%83%E5%BE%8C
国防婦人会館
http://www.geocities.jp/jouhoku21/heiwa/ch-fujinkaikan.html
●婦人会 ふじんかい
http://www.tabiken.com/history/doc/P/P330C100.HTM
国民歌謡-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%AD%8C%E8%AC%A1
西宮市立郷土資料館の企画展示・千人針
http://www.nishi.or.jp/homepage/kyodo/tenji/senji/12/sen1.htm
戦時中の国内生活・戦争第一部内地編
http://homepage1.nifty.com/zpe60314/se14.htm
素朴な善意が生んだ国防婦人会
http://myp2004.blog66.fc2.com/blog-entry-22.html
戦前の婦人会と女性の暮らし
http://www.sakuracom.jp/~kyoudoshi/fujinkai.html
日本キリスト教婦人矯風会・歴史
http://www18.ocn.ne.jp/~kyofukai/02history.htm
たむたむ(多夢太夢)のHP/死の餞別(せんべつ)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sinozennbetu.htm
平頂山事件
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/heichouzan.html
平頂山事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%A0%82%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
国家総動員法 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%B7%8F%E5%8B%95%E5%93%A1%E6%B3%95
西の海へさらり: 国防婦人会
http://www.johf.com/search/%E5%9B%BD%E9%98%B2%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E4%BC%9A/ja/6
大阪港-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%B8%AF
愛国婦人会発祥の地
http://www.tabiken.com/history/doc/A/A017R100.HTM
「去華就実」と郷土の先覚者たち 第13回 奥村五百子
http://www.miyajima-soy.co.jp/kyoka/shaze13/shaze13.htm
義和団の乱 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1
Amazon.co.jp: 国防婦人会―日の丸とカッポウ着 (岩波新書): 本: 藤井 忠俊
http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%BD%E9%98%B2%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E4%BC%9A%E2%80%95%E6%97%A5%E3%81%AE%E4%B8%B8%E3%81%A8%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%9D%E3%82%A6%E7%9D%80-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1