今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

仏壇の日

2009-03-27 | 記念日
今日(3月27日)は「仏壇の日」(毎月27日)。この日は、全日本宗教用具協同組が制定。因みに、全宗協HP、”によると、西暦685(白鳳14年)年3月27日、「諸國(くにぐに)の家毎に佛舎を作り、即ち佛像とを置きて礼拝供養せよ。」との勅令が天武天皇のもとに発布され、以来仏壇を拝むようになった。”・・・とあった。この「3月27日」は旧暦であるが、仏壇の日は新暦3月27日としたが、後に毎月27日に拡大したようだ。
飛鳥時代推古天皇( 554年- 628)がご自身の宮殿において拝んでいたとされる国宝指定の「玉虫厨子」が、法隆寺・(奈良県斑鳩町)大宝蔵院(もとは金堂に安置されていたと言われる)にあり、この仏堂形の厨子(ずし)が現在に伝わる最古の仏壇と言われている。
しかし、『日本書紀』の天武天皇が14年(685年)に出した「諸國の家毎に佛舎(ほとけのみや)を作り・・・」との詔にある佛舎が、現在家庭にある仏壇などへの直接の起源でないことは、時代的に見ても明らかだろう。
天武天皇は、地方豪族の力を得て軍事力により天智天皇の子大友皇子から政権を奪取した(壬申の乱)翌・673年飛鳥浄御原宮で即位したのち、より強力な中央集権国家体制樹立のため飛鳥浄御原令の制定を命じ律令国家の建設をより一層強力に推し進め、地方の支配体制を明確にするために八色の姓を制定して朝廷の身分秩序を確立し新冠位制を施行して冠位賦与を親王にまで拡大した。また、豪族の弱体化策として豪族に与えられていた部曲(かきべ)を廃止し、食封制度も改革した(以下参考に記載の部曲,食封制度を参照)。さらに、一貫した皇族だけの皇親政治を行った。地方の支配体制を明確にするために、天武13年(684年)10月には伊勢王(以下参考に記載の「伊勢王 とは - みんなの知恵蔵」参照)等を遣して、諸国の堺を定め、地方の行政組織づくりも進めた。同時に、天皇の宗教的権威も高められた。
伊勢神宮の祭祀が重視され広瀬・竜田祭(以下参考に記載の広瀬神社また、竜田神社を参照)が国家事業として行われた。斎宮が制度化されたのも天武朝の時代であると言われている。またこの頃から新嘗祭と大嘗祭の区別などがされ、現在にまで継承されている。仏教に対しても大官大寺等の造営が進められるとともに僧尼の統制が強化されるなど、仏教の浸透を 媒介に宮王の文化や技術は地方にも伝えられ、同時に新しい支配方式の中で仏教や寺院建築の普及は不可欠 なものになっていた。
このように、天武は壬申の乱以降、中央集権的な国家を求め、鎮護国家の仏教を活用して国家支配と政治を推し進めていったのであり、685年3月27日の詔に見られる「諸國の毎に佛舎」も、都の有力者や地方の豪族に対してのものと考えられる。この時代に急増する地方寺院も この詔に応じて豪族たちが建立した氏寺であり、郡寺(各郡の名前を付けた寺院)であったと見られている。現在のような家庭用の仏壇は中世以前には見られなかったものであり、近世になって出現したもの。貴族などの上流階級においては、自宅とは別に持仏堂を持つものもあり、それがその人の死後に寺院になるのが中世によくある例であった。例えば藤原頼通平等院鳳凰堂足利義満鹿苑寺などである。
このような持佛堂が縮小・矮小化し屋内に取り込まれることによって仏間を経て仏壇に変化したとされているが、一般庶民に仏壇が普及するのは近世以降のことである。その背景には幕府による宗門改めの強要から、檀家制度が確立され、各戸ごとに証として仏壇が設けられた。当時、寺院側は宗派の仏像を祀ることを庶民に求めたが、庶民が祀ったのは以前から各家で祀っていた先祖霊であった。先祖霊は祭壇で祀られていたため、仏壇を受容することに対する抵抗感はなかったと言われる。兎に角、良い悪いは、別にして、この頃から、一般庶民に仏壇が一気に普及し、仏壇の前で、朝・夕礼拝し、先祖の命日には僧侶を招き供養するという習慣が確立した。
ただ、私が、面白いな~と思ったのは、全宗協HPには、この天武天皇の勅令発布以来 “仏壇を拝むようになった”。・・・と書かれていることである。仏壇の中をよく見られると分かるが、お寺の本堂とそっくりである。お寺と同じ本尊が須弥壇の上に安置され、位牌がその脇に配置されている(位牌を中央に配置しているところもあるだろう)。いずれにしても、私たちが、朝・夕礼拝しているのは、信仰をしている本尊であり、ご先祖の霊に対してである。仏壇は、単なる仏を祀る厨子であり、先祖を祭るための祭壇でしかない。だから、仏壇を拝むといった表現は、全くおかしいが、ま~、天武天皇の詔が仏壇の始まりである様な表現とか仏壇を拝むとかの表現は仏壇屋さんらしいということかも・・(^0^)
なお、仏壇は日本独自のもので、仏教国であるタイなどでも見られないようだ。それは寺院が生活の身近にあり、家の中に改めて小さな寺を作る必要がないからである。ただ、家ごと移動をするモンゴルではゲルの中にチベット仏教の仏壇を設けることがあるというが・・・。
そんな、仏教と仏壇仏具、また、それらを取り巻く「仏事」に関する豊富な知識を持った資格者として、仏事コーディネーター資格審査協会が認定する資格制度「仏事コーディネーター資格制度」も平成16年からスタートしているらしいが、この資格審査協会は、全宗協が後援しており、現在は全宗協の組合員とその従業者であることをその受験資格としているそうだ。
戦後の日本は、核家族化も進み、住まいもかっての日本建築から、洋風化もしており、家に仏壇を設置する場所もないのが実情ではないか。その上、戦後の日本には、宗教と言うものを、どうも疎ましいものといった感じで見ている人達がいるようであり、そのような人達の戦後教育とも関係が有るのかどうか、兎に角、戦後は、日本人の宗教離れそのものが進み、家庭で仏壇の前で仏や先祖に手を合わそうなどと考えるものすら少なくなっているようだ。
先日の第81回米アカデミー賞の発表会で、滝田洋二郎監督作品の「おくりびと」が外国語映画賞を受賞し、話題になっているが、この映画は、亡くなった人の身体を清め、棺に納める納棺師の仕事についた男性(主演:本木雅弘)が、人と死に向き合う様を描いたもの。このような映画が、米国で賞に選ばれたのも作品の内容もさることながら、バブルが弾けてムチャクチャな経済状況になってしまった今、人の根源的なテーマである「」・・といったものへの関心が非常に高まった故のことであろうと考える。
私は、納棺師なるものが居ることなど全く知らなかったが、なにか、葬儀社の依頼に応じて専門職の1つとしての納棺師を派遣しているところがあるようだ。私の母親や祖父が非常に信心に熱心であったことから、私も幼少の頃より、仏教に関心を持ち成長してからは自らも信仰をするようになった。そして又、身内他、多くのお寺関係やご近所の人達の死の旅立ちにも立ち会ったが、納棺師などといった特別な人に納棺をしてもらっていたことの記憶はない。死後の旅立ちのため、遺体を清め、死化粧を施し、死装束を着せ、葬儀社に手伝ってもらっての納棺も全て身内でしていた。ただ、思い起こせば、昔は、葬式の前の通夜が非常に厳かに行なわれていたのを思い出す。この通夜は、古代日本で行われていた(もがり)に由来するものと言われている。そう言えば、2年前(2007年)、第60回カンヌ国際映画祭で、河瀬直美監督の「殯の森」がグランプリを受賞したのを思い出しますね~。殯は日本の古代に行なわれていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでの期間、棺に遺体を仮に納めて安置し、別れを惜しむこと、またその棺を安置する場所を指す。告別式の前夜祭の形態をとる。誰かが寝ずの番をして(交代でもよい)、夜明けまで灯明や線香の火を絶やさないようにしなければならない(魔除けの意味がある)。本来、このように、通夜は家族、親族が死者との最後の別れを充分にし、心の整理をする貴重な時間であった。そのため、古代といわずとも、かって仏教では、死亡当日の夜は、そのまま遺体を布団に寝かせて、遺族や故人とごく親しかった近親者のみで一夜を過ごしていた。そして、仮通夜の後、本通夜の前に、納棺も僧侶に納棺経をあげてもらい、読経の間に納棺するのが一般的な形とされていた。しかし、最近の通夜では夜6時ごろから9時ごろまで一般の参列者を招き僧侶の読経も1回のみという形の「半通夜」にする場合が多くなってきている。その後は、翌日の葬儀まで、近親者が夜通し付き添うのが慣わしであるが、通夜を自宅以外で行うケースが増え、遺族も10時頃には帰ることが多くなっているようだ。
本当は、この通夜の行事こそ、重要なはずであるが、最近は、葬儀も派手になり、会葬者も多くなっているのだが、朝の葬儀に来にくいからと、形式的に通夜に来る人が増えているようだ。そのため、親族は、通夜の会葬者の接待に追われ、疲労困憊、十分に故人とのお別れも出来ないまま形式的な通夜や葬儀を終了するといったことになっているのは、事実だろう。私自身、大げさな「納棺の儀式」が必要かどうかの意見を言うつもりはないが、ただ、故人との大切なお別れの時間である通夜は近親者だけで、ゆっくりと過ごしたいものだとは思う。私は、自分自身の葬儀などのやり方については、遺言のように、別に書き留めておくつもりである。
最後に、本日のテーマである仏壇についてだが、かって、仏壇は、先祖霊の依代として永続する家系の象徴でもあった。「家」制度の下で第一の価値観は家系の永続であり、先祖が子孫に影響を与えるとする信仰心が、仏壇の需要を支えていた。しかし、戦後の核家族化や、先にも述べた思想上の問題等から、「家」は崩壊し仏壇もその必然性を低下させた。私自身、宗教や先祖祭りのために特別仏壇を必要だとは思わないが、それが、宗教心の低下や先祖とのつながりをなくして行くような結果にならないようにとは願っている。映画「おくりびと」のアカデミー入賞で、「生と死」について考えてみるのも良いが、このような、「仏壇の日」の記念日を機会に、現実の問題として、自分の家の宗教がどのようなものか、又、先祖祭りについても考えてみるのは良いことだろう。
以下では、おくりびとのテーマー曲と共に、一部映画のシーンを見ることが出来る。
おくりびと/AI
http://www.youtube.com/watch?v=j-QY9F9nHTI
(画像は、映画「おくりびと」のチラシ。)
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仏壇の日:参考

2009-03-27 | 記念日
参考:
全日本宗教用具協同組合
http://www.zenshukyo.or.jp/
全日本宗教用具協同組合 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AE%97%E6%95%99%E7%94%A8%E5%85%B7%E5%8D%94%E5%90%8C%E7%B5%84%E5%90%88
日本書記全文
http://www.j-texts.com/jodai/shokiall.html
伊勢王 とは - みんなの知恵蔵
http://chiezou.jp/word/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%8E%8B
部曲 かきべ[キャッシュ]
http://72.14.235.132/search?q=cache:4lJn4qd1JCAJ:www.tabiken.com/history/doc/D/D092C200.HTM+%E9%83%A8%E6%9B%B2&hl=ja&gl=jp&strip=1
食封 じきふ[キャッシュ]
http://72.14.235.132/search?q=cache:DExT67obCrYJ:www.tabiken.com/history/doc/H/H247L100.HTM+%E9%A3%9F%E5%B0%81%E5%88%B6%E5%BA%A6&hl=ja&gl=jp&strip=1
神祇史料集成・大忌祭・風神祭
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/hirosetatsutasai.html
龍田大社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E7%94%B0%E5%A4%A7%E7%A4%BE
廣瀬大社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E5%A4%A7%E7%A4%BE
鎮護国家 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%AE%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E5%AE%B6
タマムシの羽6600枚 法隆寺の玉虫厨子を復刻 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080301/trd0803012003015-n1.htm
寺請制度– Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E8%AB%8B%E5%88%B6%E5%BA%A6
※宗門改め
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n320.htm
祖霊信仰– Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%96%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0
おくりびと - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%B3%E3%81%A8
通夜 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%A4%9C
おくりびと/AI
http://www.youtube.com/watch?v=j-QY9F9nHTI