就職したときに、父がお祝いにくれた認印。
このハンコを、出勤簿に押し続けて42年。
いま、その役目を終えて、自宅に戻ってきました。
昔読んだ詩に、出勤簿用に使っていた認印が
何だか血の滲んだ指先のように見える、ということを書いたものがあって
それは、確かに石垣りんの詩だとずっと思ってきたのですが
今回、石垣りんの詩集にあたっても、どこにもない。
おかしいなあ。
いかにも、石垣りんらしい、どこか陰惨な趣のある詩だったと思うのですが。
ぼくには、そんなふうな見え方はしませんが
まあ、このハンコを1万回ぐらいは押してきたのだなあと思うと
何だか、切ないような、妙な気分になります。
もっとも最近では、タイムカードが導入されている学校も多いとか。
こんなハンコの写真を撮ろうなんて思う人間も
いなくなるのでしょうね。