初心忘るべからず
半紙
近代日本文学の森へ (2) 斎藤緑雨『油地獄』
「現代日本文学全集 5」筑摩書房
2018.4.18
誰? この人? って思う人が多いはず。斎藤緑雨(りょくう)は、慶応3年(1867年)生まれで、明治37年(1904年)に死んだ作家。37歳で、結核でなくなっているが、大変な天才。
夏目漱石も慶応3年の生まれだから、同い年となるわけだけど、かたや「国民的作家」として知らぬ者とてないというのに、こちらは、今や知る者とて稀、しかも、その小説を読もうにも、本が手に入らないというありさま。漱石も天才なのかもしれないけど、緑雨は、たぶん漱石なんて比じゃないくらいの天才だったと思う。せめてあと10年生きながらえたら、どんな面白い作品を書いていたことだろうと惜しまれる。
とまあ、しったかぶりもいいところだけど、そんなに詳しく知っているわけでもないし、今までにその小説をちゃんと読んだこともない。ただ、このシリーズを立ち上げるために、「日本短編文学全集」の1冊を本棚から引っ張り出したら、たまたま緑雨の収録されている巻で、その最初に『油地獄』が載っていたので、初めて読んだということだ。
そもそも「油地獄」って何なの? だよね。この題をみれば、多少日本文化に知識があれば、歌舞伎や文楽で有名な、近松門左衛門の『女殺油地獄』を思い浮かべる。随分前に、これを歌舞伎でみたけど、ほんとうに舞台に油がドロドロあふれかえって、その油に滑ったり転んだりしながら、男が女に切りつけるさまはなかなか壮絶だった。ほんとの油かと一瞬思ったけど、そんなはずはない。水にちがいない。それを演技で油に滑っているように見せているのだろう。
そんなドロドロした殺しの場面が出てくるのかと思って読み始めると、もう、冒頭から、ぜんぜん分かんない。こんな調子だ。(引用は「青空文庫」より)
大丈夫まさに雄飛すべしと、入《い》らざる智慧を趙温《ちょうおん》に附けられたおかげには、鋤《すき》だの鍬《くわ》だの見るも賤しい心地がせられ、水盃をも仕兼ねない父母の手許《てもと》を離れて、玉でもないものを東京へ琢磨《みが》きに出た当座は、定めて気に食わぬ五大洲を改造するぐらいの画策もあったろうが、一年が二年二年が三年と馴れるに随って、金から吹起る都の腐れ風に日向臭い横顔をだん/\かすられ、書籍御預り申候の看板《かんばん》が目につくほどとなっては、得てあの里の儀式的文通の下に雌伏《しふく》し、果断は真正の知識と、着て居る布子の裏を剥《は》いで、その夜の鍋の不足を補われるとは、今初まったでもないが困った始末、ただ感心なのはあの男と、永年の勤労が位を進め、お名前を聞《きく》さえが堅くるしい同郷出身の何がし殿が、縁も無いに力瘤《ちからこぶ》を入れて褒《ほめ》そやしたは、本郷竜岡町の下宿屋秋元の二階を、登《あが》って左りへ突当りの六畳敷を天地とする、ことし廿一の修行盛り、はや起をしば/\宿の主に賞揚された、目賀田貞之進《めがたていのしん》という男だ。
何と、これ、主人公の目賀田貞之進の紹介なのだ。何度か読み返してやっとなんとなくわかったのだが、要するに、本郷竜岡町の下宿屋秋元の二階に、今年21歳になる目賀田貞之進という男がいた。この男は、出世を夢見て田舎(長野)から東京に出てきたのだが、ちっともぱっとしない、どころかその日の金にも困る始末。しかし、感心なことがあると同郷の男が褒めるのだった、というような意味らしい。
このあたりの文体は、近松・西鶴ばりで、リズミカルだが、意味がとりにくい上に、故事来歴がちりばめられているから、たとえば「趙温」が何者か知らないと、後の「雌伏」との関連が分からない。相当な教養が必要だ。(ちなみにぼくはこういうことに疎いから初読ではさっぱり分からなかった。)
ただ、じっと我慢して読み進んでいくと、堅物で、友人もいない男が、長野県人会にいやいや出席したところ、そこで、芸者の小歌に一目惚れしたからさあ大変、って話に展開していく。そうなると、文体が、がらりと変わり、こんな調子。
枕に就きは就いたが眠られない、眠られないとゝもに忘れられない、仰向いて見る天井に小歌が嫣然《にっこり》笑って居るので、これではならぬと右へ寝返れば障子にも小歌、左へ寝返れば紙門《からかみ》にも小歌、鴨居にも敷居にも壁にも畳にも水車の裾模様が附いて居るので、貞之進は瞼を堅く閉じて、寝附こう寝附こうとあせるほどなお小歌が見える。これがあるからと洋燈《らんぷ》を吹消たが、それでも暗闇の中に小歌の姿が現われて、「あら儂《わたし》のではお厭なの」、の声がする。
これは分かりやすいよね。寝ても覚めても「小歌」ばかりだという次第。(「あら儂《わたし》のではお厭なの」というのは、貞之進が小歌から、トイレの後にハンカチを貸してもらった時の小歌の言葉で、これが、自分への好意と勘違いした貞之進の耳について離れなくなってしまったというわけ。)
この小説、明治24年の発表だから、まだまだ書き言葉としての口語文体が完成していない時代なんだけど、この辺りはかなり口語体になっている。つまり、江戸時代の近松や西鶴みたいな文体と、二葉亭四迷の『浮雲』(明治20年)で試みられた口語文がひとつの小説にごちゃまぜになっている。それでいて、なんか、バラバラに空中分解していないという離れ業をやってのけてるのだ。
さんざん小歌に入れあげた貞之進だが、最後は、結局小歌がお金持ちの旦那に落籍されてしまい、悔し涙にくれるという結末なのだが、この結末まで「油地獄」の「あ」の字もない。で、どうなるのか? って思って読んでいくと、最後の方で、悔しがった貞之進が、部屋の火鉢に鍋を置き、油を煮え立たせはじめる。え? 火事になっちゃうって話? それとも、この油を被って自殺するの? って心配していると、なんと、小歌からもらった小歌の写真を、その煮えたぎった油のなかに放り込む。それで、小歌の写真が油の中でやけただれ、それこそ写真が「地獄」を味わうという、実に予想もつかない変テコなオチ。どう考えても、いい題だとは言えないよなあ。
まあ、しかし、こうした小説の粗筋だけ取り出せば、どうってことない、たわいもないものにしかならないけれど、「神は細部に宿りたまふ」じゃないけど、ちょっとしたところに面白さがあるもので、例えば、この貞之進が、小歌に惚れてしまって、遊郭に通いだすのだが、初めはどうすれば会えるのかが分からないから、古本屋へ行って、「色男の秘訣」なんて本を買おうとするくだりなどは笑ってしまう。ちょっと引用しとこう。
傍らの古本舗《や》を覗き込むと、色男の秘訣と題した書《ほん》がふと目に留り、表紙に細々と載てある目録を、見るように見ぬように、むしろ見ぬように見ぬように、横目で読むにその初めが娼妓買《じょろうかい》の秘訣芸妓買の秘訣、貞之進は我知らず飛立ったが気が附て隣の文集やら詩集やらをもとめるふりで、そっと正札をうかゞえば金十銭、これで芸妓買の秘訣を得ることならば、いや/\秘訣には至らないでも手続だけ分ることなら、安い物だがと本屋の顔を見るに、ぎょろッとした眼がこっちを嘲るようなので、明らさまな色男の秘訣とあるものを、のめ/\と買いもしがたく、買うは一旦の恥買えば永代の重宝、買うべし/\としきりに肚では促すものゝ手は出せない、……
この後もしばらく続くき、結局は「色男の秘訣」は買い損なって、いりもしない本を買うはめになるのだが、これは男ならほとんど誰でも一度は経験のあることだろう。ぼくの大学生のころなら、「ビニ本」なんて代物があって、そういうのを買うときのドキドキが、今も鮮やかによみがえる。
しかし、「買うは一旦の恥買えば永代の重宝」なんて思って買うのは、別にエロ本だけじゃなくて、高価なカメラなんかもそうなのだが、いったん買ってしまえば「永代の重宝」とはならず、「よせばよかった」になるのが相場なんだけどねえ。
さて、末尾は、こうだ。
早起の秋元の女房が、なお室内に残る煙に不審を立て、何の臭いかと貞之進の部屋の障子を、がらりと明けたその音に貞之進は驚き覚めて、や小歌かと突然起って足は畳に着かずふら/\と駈寄ったが、あっと云って後退《あとじさ》る女房の声と同時に、ぱったりそこへ倒れて、無残、それから後は病の床、頬はこける眼は窪む、夜昼となしの譫言《うわごと》に、あの小歌めが、あの小歌めが。
これでオシマイ。「あの小歌めが、あの小歌めが。」でオシマイなんて、変だよねえ。今なら、せめて「あの小歌めが、あの小歌めが、とわめき続けるのであった。」となるところ。
「そこから後は病の床」とあって、うわごとを言うようになるのだが、これが一時的な錯乱なのか、気が狂ってしまったのかは、判別しがたい。
筑摩書房の「現代日本文学全集」の瀬沼茂樹の解説は、この小説の粗筋をこんなふうにまとめている。
初心(うぶ)な青年が県人会の席上でみた芸妓の職業的な媚態に迷い、不義理な借財をして通いつめるのであるが、もちろん女は青年に関心なく落籍(ひか)されてしまう。青年はこれを怨(うら)んで、女の写真を油で煮て、気が変になるという極めて単純な構想である。
さすがに、見事なまとめかただが、「芸妓の職業的な媚態に迷い」というのも、なんだか可笑しいね。瀬沼によれば、「気が変になる」ということだが、まあ、毎晩「あの小歌が、あの小歌が」ってうめくのだから、そうなんだろう。しかし、このまとめを読んでも、最後の「写真を油で煮る」っていうのが、妙に浮いてるなあ。緑雨は実際にこういうことをしたのかもしれない。それじゃなきゃ、こんな変な発想は思い浮かばないもの。あるいは、ひょっとしたら、憎い女の写真を油で煮たことがあって、そこからこの話を作りあげたのかもしれない。だったら、この変な題名の謎もとけるというものだ。
緑雨について、ちょっと調べてみると、「狭斜(きょうしゃ)小説」が得意だったとよく出てきて、なにそれ、って思って調べると、「狭斜」というのは、「遊里」「遊郭」のことだとのこと。これも初めて知った言葉。
緑雨は、きっと遊郭でさんざん遊んだのだろうし、落語の郭話もさんざん聞いたろう。この小説の味わいは、落語の郭話と極めて似ている点も見逃せない。
緑雨は、文体模写が得意だったと聞いたことがある。同じ内容を、尾崎紅葉風とか、幸田露伴風だとかに書き分けるのが得意だったらしい。そんな例を昔ちらと読んだ記憶がある。どこかにないかなあ。
この話を全部読みたい方は、幸い(?)青空文庫にあるので、どうぞ。読まないほうがいいかも。(笑)