詩歌の森へ (1) 古今和歌集・大空は
2018.4.19
大空は恋しき人の形見かは物思ふごとにながめらるらむ
〈恋四 酒井人真(さかいのひとざね)〉
【口語訳】大空は私の恋しい人が残した形見なのだろうか。必ずしもそうではあるまいに、私が物思いにふけるたびに、どうしてこのように、自然に眺めてしまうのだろう。(小学館「日本古典文学全集」による。)
古典の和歌集で、どれがいちばん好きかと聞かれたら、高校時代だったらたぶん、『新古今和歌集』だと答えただろう。あの耽美的な世界は、当時のぼくはぞっこんだったような気がするのだ。逆に、『万葉集』にはそれほど惹かれなかった。言葉がむずかしくて、あまり入っていけなかったような気がする。それに、その頃から歴史が苦手だったので、時代背景などを考えるのが面倒くさかったのだと思う。
その中間にある『古今和歌集」は、正岡子規の言葉を真に受けて、ツマラナイ歌集だと思っていた。
それが必ずしも正しくないのだと気づいたのは、よくある話だが、大岡信の『紀貫之』という本を読んでからだ。大岡は、その意味でも、大きな仕事をしたと思う。
『源氏物語』を通読して、改めて認識したのは、『古今和歌集』(およびその後のいくつかの勅撰集)の偉大さだった。「源氏物語」は、『古今和歌集」なしには書かれることはなかっただろうと思う。それほど、「古今和歌集」の世界は物語の内部に食い込んでいる。まさに、血と肉といっていい。
というような堅い話はおいといて、この「大空は」の歌。
この歌は、高校時代に出会った。それも、『古今和歌集』を読んでいて、ではない。萩原朔太郎の『恋愛名歌集』で知ったのだ。朔太郎はこの歌をこんなふうに絶賛している。
恋は心の郷愁であり、思慕(エロス)のやる瀬ない憧憬(あこがれ)である。それ故に恋する心は、常に大空を見て思を寄せ、時間と空間の無窮の涯に、情緒の嘆息する故郷を慕ふ。恋の本質はそれ自ら抒情詩であり、プラトンの実在(イデヤ)を慕ふ哲学である。(プラトン曰く。恋愛によってのみ、人は形而上学の天界に飛翔し得る。恋愛は哲学の鍵であると。)古来多くの歌人等は、この同じ類想の詩を作っている。例えば万葉集十二巻にも「思ひ出でて術なき時は天雲の奥処(おくか)も知らに恋ひつつぞ居る」等がある。しかし就中(なかんずく)この一首が、同想中で最も秀れた名歌であり、縹渺たる格調の音楽と融合して、よく思慕の情操を尽くして居る。古今集恋愛歌中の圧巻である。
朔太郎節全開の名調子だが、言っていることはずいぶん観念的で、それほどスゴイことを言っているわけじゃない。そのころ、文学通だった友人は、はやくも朔太郎の議論の観念性に疑問を呈していたが、ぼくのような単純で無知な高校生にはたまらないものがあったらしく、すっかりぼくは彼の術中にはまり、この歌を名歌と信じて疑わなかった。今になって思えば、朔太郎がたいしてこと言ってないじゃんと、しらっと言えるけれど、しかし、この歌が名歌だという点では、朔太郎に異論を挟む気持ちはさらさらない。
「恋しい人の形見」として、「大空」を持ち出したのは、人真の独創ではないのかもしれないが、やはり秀逸としかいいようがない。形見といえば、ペンダントとか、時計とか、手のひらに収まる小さなものをイメージしがちだが、それとは対極的に、まるでとらえようもない、茫漠とした「大空」を形見と見るのは、単に恋人への思いという以上の形而上的な広がりを感じさせる。
それにつけても思い出されるのが、中島みゆきの「この空を飛べたら」である。「ああ、人は昔々、鳥だったのかもしれないね。こんなにも、こんなにも、空が恋しい」という歌詞は、この『古今和歌集』の歌以上に、プラトン的だ。朔太郎の言う「魂の郷愁」そのものだ。もし現代に朔太郎が生きていたら、この歌をマンドリン片手に歌いまくったんじゃなかろうか。
中島みゆきは、この歌詞の着想を朔太郎から得たのではなかろうかと、ぼくは勝手に疑っている。