涼風至(すずかぜいたる)
七十二候
8/7〜8/11頃
ハガキ
●
やれ酷暑だ、台風だと騒いでいるうちに
もう秋なんですねえ。
立秋は、8/7でした。
涼風なんて、ちっとも至りませんけど。
そういえば、かなり寒い日がありましたけど、
あれは、いつだっけ?
忘れちゃいました。
涼風至(すずかぜいたる)
七十二候
8/7〜8/11頃
ハガキ
●
やれ酷暑だ、台風だと騒いでいるうちに
もう秋なんですねえ。
立秋は、8/7でした。
涼風なんて、ちっとも至りませんけど。
そういえば、かなり寒い日がありましたけど、
あれは、いつだっけ?
忘れちゃいました。
日本近代文学の森へ (34) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(3)放浪』その3
2018.8.11
中学教師有馬勇の家に転がりこんだ義男は、勇の妻お綱を相手に、結婚後の女性がいかにダメかをとうとうと論じる。世話になる人を相手にする話じゃないが、そんなことにはお構いなしなのが義男だ。結婚後の女性への罵倒は、自分の妻千代子への罵倒なのだが、同じ女性として、お綱も黙って聞いていられないからムキになって反論する。
義男は、樺太での事業が失敗して、どの面さげて東京の友人に会えるだろうかと言うと、勇が言う。
「友人も友人だらうが、細君が困つてやアしないか?」
「今も云つた通り、家を處分して、困らんだけの方針をつけるやうに命令してゐるのだから、それ以上に僕は責任がないのだ」
「それは少し」と、お綱は、さツきから林檎をむいてゐたが、そばから、そばから子供に喰はれてしまふので、もう、よしたと云はないばかりに庖丁を投げ出して、口を出した、「奧さん達にひどいでは御座いませんか? 家をお賣りになるにしても、あなたが御留守では女獨りでお困りでせうよ」
「なアに、誰れか相談相手を見つけて來るでせう。——僕は友人に會ふのはまだしもだが、女房や子供のつらを見るのが何よりの苦しみです、げじ/\を見る樣にいやで、いやでたまらないんだから。」
「あんなことを」と、お綱は義雄が眞面目にこんなことを云ふ顏を見て笑ひながら、「奧さんがお氣の毒です。ね。」
「もとはさうでもなかつたらしいが、ね」と、勇は八九年前の同僚時代のことを思ひ出した。「一緒に京都や竹生島などへよく旅行や見物に出かけたりして、仲がよかつた樣であつたぢやアないか?」
「うん、あの時はまだ、妻が僕より年うへだといふ訣點がさほど現はれなかつたので、僕が家庭といふものにまだ絶望してゐなかつたのだらう。然し、奧さんの前ではあるが、日本の女は殆どすべて、誰れでも、男子に對する情愛的努力が足りない。早くませて婆々アじみてしまふ癖に、つまり、精紳に張りがないのだ。結婚してしまひさへすりやア、もう、安心して、娘の時の樣な羞恥と身だしなみ──寧(むし)ろ、男子の心を籠絡(ろうらく)牽制して置く手段と云ふ方がよからう──を怠り、『わたしはあなたの物です、どうとも勝手におしなさい!』──」
義雄はかう云ひながら、眞面目くさつて顎をつき出し、さも憎らしさうな口眞似をして見せた。
「ほ、ほ、ほ」と、お綱は之を見て吹き出すと、おとならしく無關心の樣な、もツともらしい樣な風をして聽いてゐる勇も、亦微笑する。
お綱も、まあ、初めのうちはこんな感じで、吹き出したりしているが、義男はそれをいいことに、ますます調子に乗ってしゃべりつづける。要するに、女は一度結婚して子どもが生まれると、およそ色気なんてものをなくしてしまい、夫などには目もくれず、子どもにつきっきりになる。それがいけないのだというのが義男の主張だ。
こういったことは、よく今の男でも口にするところだが、義男はもっと徹底していて、子どもに愛情を移すのは夫への裏切り、謀叛だとまでいうのだ。これにはお綱もむっとして言い返す。
「それはあんまり角の立つ云ひ方です、わ。」お綱はいよ/\躍起となり、顏までがほてつて來た樣だ。「そんなことをおツしやるお方なら、わたし、あなたをおそろしくなりますよ。謀叛人なんかツて、女の心はそんなものとは反對です。子寶とも云ふ子供ですもの、それを夫婦が可愛がつて育てるのに不都合は御座いますまい。」
「奧さん」と云つて、義雄は身づから少し反省した。そして、わざと微笑を漏らしながら、「間違つて貰つては困りますよ、これは根本のところ僕が僕の妻に對する不平であつて、決してあなたがたに關して云つてるのぢやアないのですから──」
「それはわたしにも分つてをりますが、あなたがあんまり女のことを惡くお云ひなさるものですから、わたしも自然辯解したくなるのですもの。」お綱も微笑しながら優しく云つたが、その樣子にはどことなく惡憎(をぞう)の色が見えた。
で、義雄は、お綱の心になほ理解を與へて置く必要があると思ひ、言葉をつづけ、
「たとへば、あなたがたの家庭に就て云つて見ても」と云ひかけると、
「わたしのうちのことは」と、お綱は笑ひながらさへぎつて、「どうでもよう御座んすから──」
「なアに、奧さん、まア、お聽きなさい」と、義雄は平手で空(くう)を打ち、「別に惡く云ふのではないのですから。──若しあなたがいつも所帶じみた風ばかりしてくすんでゐるとすればです、──實着な有馬君だからそんなことも滅多にあるまいが、──どうしても、たまには充分色氣のある樣子をして自分に向つて貰ひたいと思ふことがないではなからう。」
「‥‥‥‥」勇はにこ/\ツとして、煙草を煙管につめかける。それが、もツともだが、さう適切に義雄から自分の心をうがたれたくはないと云ふ樣子であつた。お綱もにこついて、所天(をつと)の顏を瞥見したが、
「そりやア無理です、わ。」恨めしい樣子をしたかの女の心持ちを義雄は分らないでは無かつた。かの女は如何に家兄の失敗の爲めに自分の家が零落してからかたづいて來たとは云へ、この七八年を、同じ北海道に於て、こんなみじめな状態で送るつもりではなかつた。結婚さへ承諾すれば、望み通り東京の學校へ轉任運動をして、やがては都の生活をさせて貰ふ條件であつたのが、一向その條件が行はれないで日を送り、年を送るうちに、子供は一人も二人も出來たけれども、所天(をつと)の俸給はその割合ひにはあがつて行かない。その上、相變らずこの寒僻地の好かない生活をつづけてゐるのが、かの女には一生の過ちの如く見えて、自分の身を餘り安賣りしたのだと思はれてならないが、日本婦人の常套思想なる運命主義からして、何事も運命だとあきらめてゐると云ふことは、この前に、かの女は義雄と勇との前で語つたところだ。
「奧さんも亦考へて御覽なさい、娘であつた時の樣な色目を今使へますか?」と、かう義雄につツ込まれた時は、然しかの女もむツとして、「あなたのお好きな藝者ではありませんし、子供のある身で、さう、いつまでも、だらしなくもしてをられません。」輕蔑した樣な、然し恨みのある樣な、義雄には方々の家庭に於てしばしば出くわして親しみのある口調で、お綱は返事した。
「田村君の意見はなか/\正直で、眞實なところがあつて」と、勇は下向き加減の首を動かしながら、「僕等もそこまで行きたいのだが、──處世上だ、ね、──處世上さう率直にやつてゐられないのだ。第一、生活問題の壓迫を感ずるから、ね。」
「さうだ、それも大問題であるから、ねえ。」義雄もそれ以上は云ふまいと、口をつぐむ。
「何はともあれだ、ね、お綱」と、勇は細君の機嫌を取る調子で云つた、「田村君に一杯あげる支度をしな。」
有馬君だって、あなたから色気のある様子をして向かって欲しいって思っているんじゃないですか? というド直球の言葉を聞いた勇の反応がおもしろい。「勇はにこ/\ツとして、煙草を煙管につめかける。それが、もツともだが、さう適切に義雄から自分の心をうがたれたくはないと云ふ樣子であつた。」とある。図星だったわけだ。
その勇の様子を横目で見て、お綱は、「そりやア無理です、わ。」と言う。この描き方が素晴らしい。映画とか演劇にしたいワンシーンだ。というより、こんな感じのシーンが小津映画にあったような気がする。
「そんなことは無理だ。」という返答は、義男に向かってのものではなく、夫たる勇に向かっているのだ。どうして「無理」なのか、その理由が、義男には分かる。お綱は、自分の結婚を「一生の過ち」だとして諦めていることを義男は彼女から聞いて知っているだけでなく、勇もまたそれを知っているのだ。それを知っている勇はどうしたいのだろう。もう一度、妻の若々しい愛情を取り戻すために、一念発起して金持ちになるのか、それとも、夫婦間の愛情は自分もあきらめて他の女へと向かうのか、それとも、生活のためになにもかも妻のように諦めるのか、それがはっきりしない。結局は、今のままだろう。それが「處世上さう率直にやつてゐられないのだ。第一、生活問題の壓迫を感ずるから、ね。」という言葉の意味するところだ。
それが分からない義男ではないから、「それ以上は云ふまいと、口をつぐむ」わけだ。そもそも、そんなに金の余裕のない有馬に世話になる義男に有馬を非難する資格はない。
夫婦というものは、ほんとに難しいものだ。夫婦の愛憎の姿を、こんなにもリアルに素直に描いた作家は、そうはいないだろう。
今、泡鳴と平行して、志賀直哉の『暗夜行路』あたりを読んだとしたら、いったいどういう印象をぼくは持つだろうか。興味深いところである。しかし、そんな道に迷い込んだら、ここに戻ってこれそうもないから、この五部作を読了するまでお預けにしておこう。