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日本近代文学の森へ (38) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(3)放浪』その7

2018-09-05 15:05:15 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (38) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(3)放浪』その7

2018.9.5


 

 義男の北海道での放浪は続く。友人宅を転々としながら、東京から送られてくる原稿料でなんとかその場をしのいではいるが、こんなことをしているより、いっそ、東京へ戻ろうかと考える。しかし、北海道でなんとか、一仕事できないものかとあがくのだ。



 夏期休業も終はり、毎朝八時から勇が學校へ出かける樣になつたのを幸ひ、渠の書齋に引ツ籠つて、義雄は筆を執つてゐるのだが、ここにはプラトンはない、イムマニユエルカントはない。スヰデンボルグはない、エマソンはない。渠等はすべて義雄の古い感化者である。そして今では渠の思想上に於ける敵である。渠は渠等をそばに控へて、その向うを張るのを正直な誇りとしてゐるのだ。渠等のないのは、渠に取つて、何だか心寂しい樣だ。
 然し、その代り、反對的にでもカントやエマソンをそばに控へない放浪の身でありながら、今持つてゐる思想をまとめ得られるのは、自分の精神と神經とに獨創の情想が出來てゐるからであると、自分で心丈夫に思ふ。
「自分の悲痛な思索は自分の直接經驗だ。」かう思ふと、自分のこれまでに經て來た幾多の戀、信仰、詩人的努力、家庭の迫害、親不孝、妻子を虐待、友人の離散、失戀、懷疑、絶望、破壞、墮落、自殺未遂、戀愛的事業、生の自覺、悲哀苦痛の現實的體得など、それからそれへと變轉滑脱して來た間にも、自分は終始一貫してゐるのを、自分ながら痛切に感じた。



 義男は、もともと評論を書いて世に出たのだ。彼がいま北海道で懸命に書いているのも、評論である。自分の「直接経験」を、ひとつの思想にまで高めていこうという強い意志が義男、つまりは泡鳴にはある。

 自然主義の作家といえば、「無理想・無解決」といわれ、ただただ淫乱な生活に溺れている様をそのまま小説にしているとか、世の中の醜悪な部分だけを好んで書いているというような誤解が当時からあり、義男も、蕎麦屋(当時の北海道では、ほとんど淫売宿を意味していたようだ。仙台では、「汁粉屋」だったという。)に行ったときも、遊女たちから「あれが、自然主義だ。」とささやかれるなんて場面も出て来る。この記述は、場末の売春婦にまで「自然主義」という言葉が浸透していたことをうかがわせるもので、いかに、「自然主義」の流行がすさまじかったかが分かって興味深い。

 けれども、すくなくとも、泡鳴の場合、かつてキリスト者であった面目は躍如としたものがあって、どんなに落ちた境遇にあっても、その「直接体験」を通して、自らの独自な思想を築き上げようとしていたのだ。

 義男は、既に雑誌に掲載されている「田村義男批判」に対する駁論(反論)を書いているのだ。前の引用部分に直接続いてこう書く。

 

 そして、筆などを以つてまどろツこしい論戰をするよりも、寧ろ自分その物を今のまま論敵の前へほうり出した方が手速い證明だと考へる。
 然しただ、東京と札幌と、海山何百里の隔てがこの論戰の筆を渠に執らせるのだ。渠は渠の鑵詰事業に熱中したと同じ覺悟を以つて、構想をめぐらす。
「執筆の意志」といふ第一項を書いてから、駁論全體の項目を先づ數へあげて見た。「新文藝に平行すべき新哲學いまだ實現せず」とか、「論者こそ却つて抽象的」とか、「主義と理想との新解釋」とか、「論者とカライルと自分との相違點」とか、いふのを列擧しながら、「現實は自我の無理想的活動」とか、「解決は死、無解決は生」とか、「活動は苦痛なり」とか、「強烈生活は優強者の勝利に歸す」とかいふのに至ると、項目だけを擧げたのに對しても、自分は既に自分の現在の本體を活躍させ得たといふ樣な痛みをおぼえる。痛みは即ち自分の眞摯な快樂であつた。
「戀や事業は自己の活動であつて、手段、目的ではない。」かう考へて、目的を持つから失戀、失敗が見えるのだが、自分が、強烈に活動してさへゐたのなら、失敗も成功もあるものではない。そして、今の自分ほど強烈な活動を心身におぼえることは少いと思ふ。
 渠のこの現實的幻影は二日ばかりつづいた。そして、三十枚ほどまで原稿が進んだ。題名も「悲痛の哲理」とすることにきまつた。然しその進捗は殆ど忘れてゐたものの記憶を再起したので途絶されてしまつた。
 渠は段々の順序に從ひ、家も忘れ、妻子も忘れてゐる。樺太の事業をも忘れてゐる。そしてまたお鳥をも殆ど忘れてゐた。ところが、かの女から、突然、「スグイクカネオクレ」といふ電報が來た。
「暫らく便りもしないで、人を馬鹿にしてゐやアがる!」かう考へて、義雄はそこに心のないほどに冷淡だ。そして、自分のやつてゐることを返り見た。


 

 「目的を持つから失戀、失敗が見えるのだが、自分が、強烈に活動してさへゐたのなら、失敗も成功もあるものではない。」というのは注目すべき言葉だ。これがいわゆる泡鳴の「刹那主義」ということになるのだろうが、「刹那主義」という言葉が連想させる、「そのときそのときが気持ちよければいい」といったような安直なものでないことがよく分かる。

 自己の生命を「強烈に活動」させること、それが大事だ。それさえできれば、「失敗」も「成功」もないのだということだ。そう割り切って生きていければ、ずいぶんと生きやすいだろう。できれば、その思想をぼくも我が物にしたいと痛切に思う。

 けれども、やはりそれは「現実的幻影」に過ぎない。彼をとりまくあらゆる「現実」が押し寄せてくるのだ。

 義男は、だんだんと有馬勇の家族からも疎まれ、氷峰の家にも居づらくなり、ある夜とうとう、どこにも泊めてもらえるところがなくなって、それならあそこしかないと、薄野遊郭に行く。

 前々夜に「初回」として登った遊郭。そこで出会った敷島という遊女。美人ではないが、「小づくり」なところが気に入った女。義男は前夜は「裏を返した」(二度目にあったという遊郭での言葉。落語ではお馴染み。)。そして、その夜は3晩目で、そうなれば、遊女のほうも「色男ができた」ということで、まわりの遊女からも祝われるほどの「なじみ」だ。その遊女敷島への複雑な思いを描いて、『放浪』は終わる。



 義雄の判斷では、この種の女等は殆ど戀しいといふことを知らない。朝、目がさめて、客を送つてしまへば、その日の晩はまた同じ人が來るか、來ないか分らない。たとへ戀しいと思つても、その人が來なければ、それツ切りのことだ。
 客の歸り姿を送つて、また來て呉れればいいと思ふことはいくらもあらう。然し、その代り、門を一歩離れてしまへば、自分の心はもう屆かないといふ經驗を幾度もしてゐる。
 渠等の人生は曲輪(くるわ)の中に限られてゐて、そこを離れたものはすべて死でもあらう、虚無でもあらう。ただ男を自分のそばに引きつけてゐる間が、その商賣でもあり、生活でもあり、生命でもある。そして、その男が好きであり、可愛くあれば、その間だけ眞實の生活がある。
 かう思ふと、義雄はこの種の女が自分の主義をちひさく實現してゐる樣に考へられる。曲輪以外は死または虚無の空想界である。無經驗、無思慮の女は、一般の俗習家等の空想界に求める理想と同樣、頼むに足らない死人同樣の戀を追うて失敗する。然し本當に思慮あり經驗ある女は、全く空しい戀などに一時の安心を求める樣なことはしないで、自己の苦界に密接して來た戀をばかりその場の實質ある糧にする。だから、握つた間はその男を離さない。これが却つて最も切實な、最も遊戲分子の少い愛であらう。
 自分に對する敷島が、然し、そんな切實な愛を持つてゐるか、どうだか分らないが、それと同じ樣な心持ちにはなれる稼業だと思ふと、その樣子振りから言葉つきに至るまで、義雄にはそれと取れないこともない。
 そして、義雄があがつた時、女は渠の送つた雜誌を店で繰りひろげ〈注:義男は、前もって、自分の評論の載った雑誌を女に送っておいたのだ〉、渠の書いた談話を讀んでゐたところであつたと語つた。そして、女は少し取り澄ましながら、
「僕はこれまで文學者であつた。これからもやツぱり文學者でつづくのだ」と、暗誦して見せる。その眞意が分つてゐるか、どうか知らないが、ただすら/\と、雜誌に出た義雄の文句通りを暗誦し、そのあとに書いてあることまでもお浚(さら)ひするのを聽くと、渠は自分がかの女に半ば了解された樣な氣がして、自分を今遠く離れてゐてよく理解して呉れないお鳥などよりは、ずツと親しみがある樣だ。
 この苦界に辛抱してゐるほどだから、こちらと一緒になつてこちらの悲哀と苦痛とを共にすることもできないことはなからう。いツそのこと、この小づくりな女を引かせることができるなら引かせて、義雄は自分のまだ飽かない燒けツ腹のこの放浪を──無理に東京などへは歸らないで──かの女と一緒につづけてもかまはないと思つた。



 自分の人生を、遊郭の女の人生のありかたと比較し、そこに根本的な共通点を見出すのだ。遊女にとっては、「永遠の愛」などない。あるのは、「一夜限りの男との関係」だけだ。けれども、時間を引き延ばしてみれば、「一夜限り」は、また「この世限り」でもある。いずれにしても、別れは必然だ。そう泡鳴は考えるのだ。

 見事な思索の「成熟」である。



 


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