日本近代文学の森へ (218) 志賀直哉『暗夜行路』 105 仙という女 「後篇第三 十」その1
2022.5.29
謙作はいよいよ新しい寓居(すまい)に引移る事にした。秋としてはいやに薄ら寒い風の吹く曇り日であったが、仙が後の荷も着いたからと、それをいいに来たので、彼は早速移る事にした。彼は自分で自分の部屋の始末をしたり、菰包(こもづつ)みの藁縄を解いたり、差し当り要らないような道具を屋根裏の物入れにかつぎ上げたりすると、頭からは埃を被ぶり、手や顔はざらざらに荒れ、それに寒さから来る頭痛や、埃から来る鼻のむずむずする事などで、すっかり気分を悪くした。
婆ァやの仙はよく豆々しく働いていたが、何彼(なにか)につけ話し掛けるので、彼は気分が悪いだけに少し苛々して来た。
「これ、何どすえ?」こんな風に話しかけて来る。
「どれ?」
「お炬燵(こた)と違いますか?」仙は両手で重そうに鉄の足煖炉(あしだんろ)を持っている。
「足煖炉だ。何所(どこ)かへしまっといてくれ」
「足煖炉。へえ。これお使いしまへんのか」
「使うかも知れないが、今要らないからしまっといてくれ」
「……どうぞ私に貸しておくりゃはんか。夜(よ)さり腰が冷えて、かなわんのどっせ」いじけた賤しい笑いをしながら仙はちょっと頭を下げた。謙作は不快な顔をしながら、いやに図々しい「目刺し」だと考えた。しかしそういわれて、いけないとはいいにくかった。で、彼は仕方なく、「よろしい」というのだが、一度「目剌し」が寝床へ入れた物はもう使えないと思い、勿体ない気もするのだ。しかしわざわざ東京から重い物を持って来て、直ぐ「目刺し」に取上げられてしまう、そういう主人公を滑稽にも感じた。
謙作の京都での生活が始まる。仙という婆やがお手伝いとして住み込む。はじめのうちは、謙作は、仙が気に入らないが、だんだんと仲もよくなっていく。その過程が丁寧に描かれている。こういうところを決してゆるがせにしないところが、志賀直哉の素晴らしいところだ。
「足煖炉」というのは、今でいうとろの「足温器」だろう。ぼくが子どものころは、湯たんぽとか、「あんか」と呼んでいたが、「豆炭」をいれた足温器があった。ここで出てくる「足煖炉」は、かなり重そうだから、もっと大がかりなものかもしれない。
仙を最初に見たとき、その顔つきから、謙作は、「目刺し」を思ったとあるが、ここでは、もう仙を「目刺し」と言っている。
体の「不快さ」は、そのまま気分の「不快さ」に連結して、謙作は、「目刺し」が不快でならない。しかし、「目刺し」が、「足煖炉」を貸してくれというと、図々しいヤツだと思いつつ、「いけない」とは言いにくくて、「よろしい」と言ってしまう。けれども、潔癖な謙作は、一度人のつかった「足煖炉」を使う気にはなれない。それほど潔癖なら、むしろ、「いけない」と言って断っても差し支えないのに、「よろしい」と言ってしまう。尊大なようでいて、根がやさしい謙作である。
「そういう主人公を滑稽にも感じた。」という表現は、この小説の中では目新しい。「主人公」という言葉自体は、前編にも何度も出てくるが、それは、小説の説明をしている部分であって、謙作自身を「主人公」と表現しているのは、ここだけだ。
ここだけなので、大きなことは言えないが、「暗夜行路」は、私小説的でありながら、どこか「主人公」たる謙作を、突き放して眺めている風情があると言えるだろう。謙作は限りなく志賀直哉に近いが、そういう謙作を、つまりは「自分」を、志賀直哉は、離れたところから眺める余裕があるということだ。あるいは、ここで「主人公」と思わず(あるいは意図的?)書いてしまうところに、あくまで志賀直哉が、「フィクション」としての「暗夜行路」を書いている(書こうとしている)ということが明らかになる、というべきか。
もちろん、「暗夜行路」は純然たる私小説ではなく、「フィクション」である。しかし、そこに登場する「謙作」という「主人公」の、様々な場面での心の動きは、志賀が「考え出した」というよりは、志賀自身のものとしかいいようのないところが多いのだ。
したがって、この小説を書いている志賀に即してみれば、全体を「フィクション」として構成しているにもかかわらず、時として、自分自身の心の動きを書いているという事態になるのだろう。そのとき、ふと、あ、そうだ、謙作はそのままオレじゃないんだという意識が動き、こうした「主人公」という表現が出てくるのではなかろうか、と、まあ、そんな風に考えるのだ。
前に来ていた荷で、大きい金火鉢と入れこにして来た盥(たらい)の底が抜けかけているというので、
「それは直しにやったか?」と彼は訊いてみた。
「やりまへん」と仙は当然の事のように答えた。
「何故やらない」
「桶屋はんが廻って来やはらへんもの……」
「来なければ持って行ったらどうだ」
「阿呆らしい。あんな大きな盥、女御が持って歩けますかいな。何所(どこ)までや知らんけど……」
「頭へ載っけて太鼓を叩いて行くんだ」
「阿呆らしい」
謙作は苛々するのを我慢しようとするとなお苛々した。しかし間もなく銭湯へ行きさっぱりした気持になって帰って来ると、苛々するのもいくらか直っていた。
仙との関係が本統に落ちつくまでは少し時がかかりそうに思えた。仙は書生を一人世話するという割りに気軽な心持で来たらしく、そして謙作も書生には違いなかったが、そして雇うた人、雇われた人という以上に出来るだけ平等にしたい考もあるのだが、或る気持の上の《がざつ》さに対してはやはり我慢出来ない事があった。仙がそれを呑込むまでは時々不快な事もありそうだと彼は考えた。
「俺が机に向かっている時は如何(どん)な用があっても決して口をきいちゃあ、いかんよ」こういい渡した。
「何でどす?」仙は驚いたように細い眼を丸くして訊き返した。
「何ででも、いけないといったらいけない」
「へえ」
そして仙はこれを割りによく守った。呆然(うっかり)何かいいながら入って来て、その時謙作が机に向かっていると、
「はあ! 物がいわれんな」こんなにいって急いで口を手で被(おお)い、引き退がって行った。
謙作は仙の過去に就いてほとんど知らなかった。ただ、もし生きていれば彼と同年の娘が一人あったという事、それに死別れ、兄の世話になっていたが、最近それにも死なれ、その後、甥夫婦にかかって見たが、何となく厄介者扱いにされるような気がされるので奉公に出る事にした、この位の事を謙作は聴いていた。
仙は台所で仕事をしながらよく唄を唄った。下手ではなかったが、少し酒でも飲むと大きい声をするので、謙作は座敷から、
「やかましい」と怒鳴る事もあった。
この謙作と仙との細やかで、ユーモラスなやりとりは、次第に二人の仲が、よい方向へ向かっていくことを予感させる。
盥が重かったら頭にのっけて、太鼓をたたいて行け、なんて、馬鹿馬鹿しいけど、トゲがない。「頭に乗っけて」だけだと、現実味があるけど、「太鼓をたたいて行け」となると、コントになっちゃうので、仙も、「阿呆らしい」といって笑っただろう。その証拠に、この後、謙作は、銭湯にいってさっぱりした気持ちになって、イライラも「いくらか直って」いる。これは、銭湯の効果だけじゃなくて、そのまえの「阿呆らしい」やりとりの影響だろう。
「雇うた人、雇われた人という以上に出来るだけ平等にしたい考」があった謙作は、明治のゴリゴリの権威主義者ではなかったということだろう。「雇った人」だから、「雇われた人」に対して何を命じてもいいとは思っていない。それどころか対等の人間関係を築こうとしている。けれども、謙作の潔癖とか、気難しさが、それを阻むわけだ。
これを仙の側から見れば、仙自身は決して卑屈になってはいない。机に向かっているときは、話しかけるなと言われて、「なんでどす?」と率直に聞き、理由もなしにダメなものはダメといわれると、「割りによく守った」。そして、うっかり話しながら部屋に入ってくると、「『はあ! 物がいわれんな』こんなにいって急いで口を手で被(おお)い、引き退がって行った。」というあたりは、仙の屈託のない人柄が見事に描き出されている。
こうした女中さんのような人物についても、生き生きと描き分けていく文章の手腕は、やっぱりすごい。
だからこそ、次のような展開が、ごく自然に心に入ってくるのである。
しかし日が経つに従って段々よくなった。謙作の方も仙のする事がそれほど気にならなくなったし、仙の方も年寄りにしてはよ<謙作の気持に順応して行くよう、自身を努めていた。そして京都人だけに暮らし向きを一任してしまうと、無駄なく、万事要領よくやって行った。酒も煙草も飲む方で、煙草は謙作の吸余しをほぐして煙管へつめていた。
謙作は初め想ったより仙を少しずつよく想うようになった。