八木重吉
「果物」全文
(詩集「貧しき信徒」所収)
半紙
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果物
秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実のってゆくらしい
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深い詩だなあ。
こんなふうに「うっとりと実のってゆく」晩年であればなあ。
八木重吉
「果物」全文
(詩集「貧しき信徒」所収)
半紙
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果物
秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実のってゆくらしい
●
深い詩だなあ。
こんなふうに「うっとりと実のってゆく」晩年であればなあ。
八木重吉
連作「鞠とぶりきの独楽」より
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ぽくぽくひとりでついていた
わたしのまりを
ひょいと
あなたになげたくなるように
ひょいと
あなたがかえしてくれるように
そんなふうになんでもいったらなあ
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「そんなふうになんでもいったらなあ」という重吉の思いは
なかなかそうはいかない、という苦い現実認識のうえにあります。
現実にはそうはいかない。
さまざまな思わくや打算が入り込んでしまう。
思いがけない受け取り方をされたり
行為の裏を読まれたり。
けれども、芸術的営為というものは
「そんなふうになんでもいったらなあ」という思い以外の何者でもないはず。
「ぽくぽくひとりでついている」という孤独な作業。
しかし、それを「ひょいとあなたになげたくなる」というのが、表現。
「ひょいとあなたがかえしてくれる」というのが、共感。
だとすれば、芸術的営為の根源のすべてが、
この詩の中に描かれているというわけです。
寒夜来客
67×35cm
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寒夜来客當酒竹爐湯沸火初紅
姚小全先生が北京から買ってきた料紙に、漢詩の一節を。
漢詩の意味は、先生にちゃんと聞いてくるの忘れましたが
寒い夜に友達が来た。酒のかわりにお茶を沸かして飲むとて
竹爐に火を入れると、ようやく赤い火が燃えだしたよ。
てなことかな。
「竹爐」とは
「竹で袖炉(しゅうろ)のように囲い、その内にいれこにして焼物の炉を入れたもの。
農民などが火を入れて野に携帯する。」(日本国語大辞典)
この後のあるようです。
誰の詩かも、聞くの忘れた。
こんど、きちんと聞いておこう。
いずれにしても、漢詩はいいなあ。
この紙、500円もするので
ちょっと書くのは勇気がいりました。
けれども、ひるんでいると
紙が無駄にたまる一方なので、思い切って書いたら
うまくできたねと、先生に珍しく褒められました。
八木重吉
てくてくと
こどものほうへもどっていこう
半紙
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連作「鞠とぶりきの独楽」より
素朴だが、幼稚ではない。
それが、重吉の詩。
一陽来復
半紙
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今日は、冬至。
「一陽来復」とは、「冬至」のこと。
若いころは、「冬至」というと
一日で最も太陽の出ている時間が短い日、ということで
いいイメージはありませんでした。
しかし、冬至からは、毎日少しずつ日が長くなるんだと思うと
希望があるというか、なんかいいなあと思うようになりました。
実は、昔からこの冬至は、
「一陽来復」といって
春がふたたび巡ってくる
めでたい日だったわけです。
「一陽来復」に関しては、日本大百科全書にこう書いてあります。
*
万物の生成を陰と陽の二気に分ける考え方から、冬至をいう。
夜を陰、昼を陽として1年を立春から大寒までの二十四節気に分けると、
冬至が陰の極点となる。したがってこの日から陽がふたたび増してくることになる。
古くはこの日を一陽来復または一陽嘉節(かせつ)として祝った。
冬至と11月1日が重なる朔旦(さくたん)冬至などは、よりめでたいことであった。
こうしたことから、春が巡ってくることや、めでたいことがふたたびくることを一陽来復というようになった。
[佐々木勝](日本百科大全書)