真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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労務係の強制労働の証言と対韓外交 NO1

2020年02月20日 | 国際・政治

 日本が安全保障上の理由を上げて、韓国に対してレジストや高純度フッ化水素、フッ化ポリイミドの3品目の輸出規制を強化すると発表して以降、日韓関係は急速に悪化しました。
 韓国の主力産業である半導体産業を支える素材の輸出規制は、韓国経済を苦境に追い込むことが分かっているのに、なぜ規制に踏み切ったのか。韓国政府が厳しい状況に立たされ、態度を硬化させることは分かっていたのではないでしょうか。 
 輸出規制によって韓国では反日感情が高まり、日本製品の不買運動が起こりました。特に日本のビールや酒などの嗜好品の類は大きな影響を受け、また、観光分野のダメージもとても大きいといいます。政府はなぜ強引に、そうした事態が予想されるのに輸出規制に踏み切ったのか、と疑問に思います。
 政府は、”韓国から兵器に転用できる3品目を含む戦略物資が密輸出された案件が明らかになったからだ”というような安全保障上の理由を上げましたが、突然の発表であり、詳細はよく分かりません。本当でしょうか。密輸出の情報があれば、輸出規制をする前に、何かすることや、できることがあったのではないでしょうか。
 韓国が、対抗措置として防衛協力協定である「軍事情報包括保護協定・GSOMIA(日韓秘密軍事情報保護協定)」を破棄すれば、かえって安全保障上深刻な問題をかかえることになるということは考えなかったのでしょうか。
 そんな疑問は、さらに、日本政府の輸出規制のほんとうの狙いは、安全保障上の問題ではなく、輸出規制によって韓国経済を苦境に追い込み、文在寅政権に対する批判や反発の声を大きくすることだったのではないのか、と膨らみます。そして、文在寅政権に対する批判や反発の声を利用して、文在寅政権との間の歴史認識問題や防衛問題を巡る対立その他を有利に進めようとする安倍政権の意図を疑うのです。

 疑わざるを得ないのは、安倍政権の法や道義・道徳を蔑ろにした政権運営があまりにも目立つからです。学校法人「森友学園」問題や、首相の長年の友人である加計孝太郎氏の学校法人「加計学園」の問題、また、「桜を見る会」の問題などをめぐる数々の疑惑に、安倍首相は何ら説明責任を果たすことなく、平然と政権運営を続け、独裁的ともいえる体制を固めつつあるように思います。だから、安倍政権を律するのは、法や道義・道徳ではないのだと、私は思います。

 安倍政権の疑惑がほとんど明らかにされないのは、第2次安倍内閣によって、2014年に「内閣人事局」が創設されて以降、人事権を握られた官僚側に、安倍政権を忖度する姿勢が強くなったからだといわれています。嘘をつかざるを得ない官僚がかわいそうだという声もあるようですが、安倍政権に批判的では、官僚の仕事は勤まらなくなっているのではないかと思います。
 だから、
”安倍政権下では首相に対する官僚の「忖度」の度合いがどんどん強まり、霞が関全体に蔓延しつつある”などといわれているのだと思います。 

 安倍政権のそうした傾向は「内閣人事局」が創設さる前からあったのではないかと思います。たとえば、安倍首相の「お友だち」が多数送り込まれているといわれたNHKの経営委員会が、松本正之会長の後任に安倍首相に近い籾井勝人氏を決めました。
 その籾井氏は、NHK会長就任直後に理事全員に「日付のない辞表」を提出させ、人事権の掌握強化を行ったという趣旨の報道があり驚きました。
 また、竹島問題・尖閣諸島問題について”日本の立場を国際放送で明確に発信していく、国際放送とはそういうもの。政府が「右」と言っているのに我々が「左」と言うわけにはいかない”とか、NHKの放送内容について”日本政府と懸け離れたものであってはならない”というような政府寄りの発言も報道されました。
 その後も、NHKの経営委員は安倍首相と近い人物が選ばれているといいます。放送法に規定されている「不偏不党」や公共放送 に求められる「中立性」から、安倍政権前には、政治色の濃い人事は控えられてきた経営委員に、首相と距離の近い人物が揃い、異例であるといいます。

 特に見逃すことのできない人事が、2013年の「内閣法制局長官の人事」です。”霞が関が驚愕するサプライズ人事”だと言われました。
 なぜなら、前例を覆し、内閣法制局に一度も在籍したことのない外務省OBの小松一郎駐フランス大使を長官に抜擢したからです。考えられない人事だったようです。当時、「集団的自衛権」の行使容認を実現したい安倍首相が、行使容認積極派の小松氏を起用して、これまで「法制局が違憲としてきた憲法解釈」を見直させるためだったといいます。あまりに強引な人事です。
 その思惑通り、小松氏は集団的自衛権の行使容認への道筋をつけたといいます。そしてその後、「法の番人」といわれる内閣法制局も、しっかり安倍政権を支え、「法の番人」から「内閣の番犬」となり、あらゆる内閣の方針にお墨付きを与え続けているというのです。
 小松長官の意思を継いだ後任の横畠長官は、解釈改憲により集団的自衛権の行使を容認しました。そして、「法の番人」ではなく、「内閣の番犬」的発言を続け、”身体の隅々まで安倍首相の意向が染み渡っていることは疑いようもない”などと言われました。

 さらに安倍政権は、つい最近、「検察庁法と国家公務員法の関係」について政府解釈を変えて、「黒川弘務・東京高検検事長の定年延長」を閣議決定しました。野党や法曹経験者らの反発が相次いだといいます。またしても、過去の国会審議で示された政府見解が、安倍内閣の解釈で変更されることになり、”法治国家が崩された異常事態”などの声が出ているようです。

 こうした安倍政権の政治姿勢から、私は、輸出規制のほんとうの狙いが、実は安全保障上の問題ではなく、輸出規制によって韓国経済を苦境に追い込み、文在寅政権に対する批判や反発の声を大きくして、自らの思いを通そうとする政治的思惑を疑うのです。

 私は、安倍政権のように法や道義道徳を蔑ろにし、独裁体制を固めて、不都合な事実を隠蔽するような姿勢では、日韓関係の改善はできないと思います。また、両国の間に横たわる深刻な問題を、政治力や経済力や軍事力を背景に決着させようとする姿勢では、韓国のみならず、中国その他の近隣諸国の信頼を得ることもできないと思います。
 「消された朝鮮人強制連行の記録 関釜連絡船と火床の抗夫たち」林えいだい(明石書店)には、下記の他にも、60人を超える人たちの証言が取り上げられていますが、本来、強制連行された人たちや強制労働させられた人たちの補償にかかわるこうした聞き取り調査は、国が率先して行うべきことだと、私は思います。国が誠意を持ってこうした聞き取り調査を行い、実態を明らかにするだけでも、韓国の受け止め方はずい分変わるだろうと思います。
 でも、残念ながら戦後の日本でも、こうした聞き取り調査を続ける人が、賞賛されるのではなく、逆に脅されることがあるというのが、現状です。
 戦前・戦中同様、不都合な事実を隠蔽する姿勢を続けていては、将来世代が近隣諸国との関係に苦しみ続けることになるのではないかと私は思っています。だから、過去に何があったのか、下記のような証言から事実を学ぶことが大事だと、私は思うのです。

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                      第五章 同胞管理
2 労務は嫌だ
                                          元豊州炭鉱古長鉱業所労務係 
                                              田川市在住 安元錫
(1) 募集ブローカー
 1939年5月。強制連行が始まる直前、自由渡航で日本へやってきた。朝鮮にいた時は百姓をしていたが、米のご飯は11月頃二、三日食べるだけだった。
 米は全部供出したので、後は粟を買って食べた。二年続けて兇作で、とてもじゃないが生活が苦しくて生きて行くのがやっとでね。日本はいい。金儲かるいう噂を聞いて、じっとしておれなくなった。最初は二、三年働いてから帰国しようと気楽に考えていた。それがそもそもの間違いだった。
 渡航して一年半経った頃、田川市伊田で彦山川の堤防工事の土方人夫をしていた。休日に伊田の町をぶらついていると、募集ブローカーから声をかけられて。
 「お前、炭鉱で働かんか。給料はいいし、飯は腹いっぱい食わせるぞ。土方と違って、坑内は雨降りでも仕事が出来るぞ、だからいいじゃないか」
 土方をしていて、風雨にはさんざん泣かされて来とるから、それを聞いてすぐ炭鉱に行く気になった。それでとうとう川崎町の豊州炭鉱に志願しました。半年後、祖国から強制連行の第一期生がやって来ました。
 大場労務課長が私のところに来て、
 「安君、お前は今度朝鮮から来た者の先輩じゃないか。彼らの言葉が分かる労務がうちの炭鉱におらんから、一つ坑内へ連れて下がってくれないか。これから先、毎年増えるだろうから頼むぞ」
 といわれた。
 労務課長の頼みは、私としては嫌とはいえんからね。
 それから約一ヶ月、寮生を坑内へ連れて下がったが、とてもじゃないが気苦労があって、もう死んでも行くまいと思った。
 寮生は朝鮮から来たばかりで、炭鉱の経験がないので、簡単に土方作業ぐらいにしか考えておらん。炭鉱の恐ろしさを知らないから、見ているこっちのほうがはらはらする。
 日本人の抗夫が嫌がるような、一番危険な切羽(採炭現場)にわざと行かせて採炭させたから、私はもう完全にノイローゼだよ。
 「炭鉱は私の性に合わんから止めさせてくれ」
 と、労務課長にいうたとです。
 彼は私の顔をじっと見て、
 「お前には坑内の採炭は向かんかも知れんねえ」
 といった。
 今度は、捲き揚げする気缶場の釜焚きですたい。それでほっとして生命拾いをしました。
 私の仕事が重労働だと知っとるので、女房は朝飯の残りを全部弁当に詰めてくれた。子供と女房の顔を見るとかわいそうになって、弁当をわざと忘れて来ることもあった。
 坑内の採炭に比べて、坑外の釜場の賃金はぐっと安かった。女房は少しでも稼ごうと、寮生の布団縫いのアルバイトね。夫婦で働いたが、食べるのがやっとの毎日でした。
 石炭を釜に投げ込む仕事はとっても熱く、体中の水分が一度に蒸発しそうで、息が出来んように苦しい。坑内とは全く違ったきつさでね。あまりの苦しさに、とうとう一週間休んだ。
 すると労務課長が家にやって来た。私は大納屋の抗夫と違って、ビタ一文も肩入金をもろうてないから、文句をいわれる筋合いはない。
 私はかなり脅されると覚悟していた。
 「やっぱりお前がおらんと労務が困る。何とか出勤してくれんか」
 と、逆に説得されました。
 再び嫌な労務に引き戻されて、振り出しに戻ってしまったよ。
坑内に入ることは嫌だといったが、別に通訳がいないから絶対に受けつけてもらえんやった。
 労務は人から恨まれる損な仕事だよ。朝鮮人の同胞を殴ったり、逃亡した者を探すことが主な仕事でした。外の炭鉱とか土方飯場まで追いかけて行ったからね。
 「川崎の豊州炭鉱から迎えに来た」
 そういうだけで、相手は黙って引き渡してくれた。それほど豊州炭鉱といえば怖れられた存在だった。

 (2)大声を上げて叩くふりを
 捕まえて帰ると、必ずみんなの目の前でみせしめリンチをしなければならない。気の弱い私は、これが苦痛で殴るふりをして軽く叩いた。
 「貴様、ここを何処と思うとるか! 豊州炭鉱ちいうことを忘れたとか」
 声だけは、それはもう力いっぱい大きく張り上げてね。すると日本人労務が、私の叩く動作を見て分かるのね。叩く音で判断するわけ、
 「安、お前がそんなことじゃ駄目だ。あれらは、朝鮮人のお前から叩かれるのが一番こたえるはずだ。もっと気合いを入れて叩け。ちょっと俺に木刀を貸してみろ、叩くとはこういうことだ。よう見ておれ」
 桜の木刀を私の手から取り上げると、無抵抗の同胞をばしばし殴りつけました。模範を示したつもりでしょう。私は五十回殴るところを、半分の二十五回くらいで止めて、日本人労務がいない時は注意するだけにした。同じ朝鮮人を、たとえ労務の仕事とはいえ、とても殴れるものではありません。
 私は思いあまって、労務課長のところに行きました。
 「もう、労務だけはどうしても勤まりません。これ以上やらせるのだったら炭鉱を止めます」
 そういって二週間無断欠勤しました。すると今度は炭鉱側は、通訳する人間がいなくなって困ってしまったらしい。
 「仕方があるまい。何んとか考えよう」
 と再び釜場に戻った。
 故郷を離れて、強制されて炭鉱に連れて来られた彼らがかわいそうでね。私のように、希望して自由渡航したのとは性格が違います。
 どうしてあれほど虐待しないといかんのか、半殺しにしてまで強制労働させたのか。これも戦争のせいでしょうか。
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                     3 一億総火の玉

                                               元豊州炭鉱古長鉱業所元労務課長

                                             川崎町在住 大場重治


(1) 大隊長
 朝鮮人寮は、古長も上田も橋川政市が大隊長をしとった。私は橋川にはたまに指図しましたが、彼が解決出来ん場合はこちらでやりました。
 出炭成績を上げるためには、一人でも多く入坑させないと困るからね。
 昔の納屋制度の圧制が、そのまま朝鮮人の寮制度に生かされたから。炭鉱にはそこの炭鉱の習慣というものがある。
 大納屋になると三十五円の肩入金(支度金)を払っているから、仕事をしないうちに逃亡すると炭鉱は丸損になる。だから、労務係は抗夫が逃亡しないように監視した。
 昭和十四年頃、朝鮮人は四十人程度で、それは全部所帯持ちが多く、小納屋(所帯持ち)暮らしで炭住に住まわせたからね。その翌年から独身の朝鮮人が来たので、自然と合宿所的な朝鮮人寮をつくった。いわば大納屋(独身者)ですよ。
 朝鮮募集が始まると、オンドル入りの親和寮と協和寮、それは売店のすぐ横につくりました。
 高いところに一望のもとに見える刑務所のような監視所があって、そこに労務係が詰めとった。不満があると、直接、採炭に影響があるから、週に一回休日にクラブに集めて、みんなの不満や意見を聞きました。 
 橋川には、古長と上田の両方の朝鮮人寮の労務管理を任せたし、朝鮮募集の時には一人についていくらと請負わせました。炭鉱に連れて来ても、一日一人入坑させるとまとめて橋川に手数料を払った。さらに出炭成績で計算するから、朝鮮人の中でも余計もらう者もおるし、少ない人も当然出て来る。その上まえをピンはねすることになるから、少々体がきついといっても大隊長は無理して部下を入坑させるわけだ。
 朝鮮人寮には監視を兼ねて労務を詰めさせ、それは指導員と呼ばせました。逃亡したりサボる者があると、指導員が徹底してヤキを入れるから、同胞の中で圧制の要素がありました。
 当時は増産増産で、古長鉱業所は月産一万トンも出していましたから、朝鮮人は相当の戦力ですよ。
 一人減ると一人分だけ生産が落ちるから、労務係も必死になりますよ。力で圧制するから反発もあるわけで、当然逃亡は続きました。
 七人が集団を組んで、タオルに石炭を包んで労務の前を堂々と出ようとしてね。それを止めようと労務と乱闘になって、結局は七人とも捕えました。これはひどい目に遭わせんと癖になるから、労務事務所で一日中殴らせました。それは他の朝鮮人の手前もあるから放っておけない。
 「もうそれくらいで止めとけ」
 叩くのを止めさせて、私は何故逃亡したのかを聞きました。取り調べ中に七人のうちの一人に召集令状が来て、朝鮮までの旅費を出して帰らせもした。
 朝鮮人は肉体労働には適しているが、知能的な技術に関しては全くないんですね。教育を全くといっていいほど受けていないから。
 坑内は非常に単純労働だから、三、四ヶ月もするとすぐ慣れました。朝鮮人は採炭などの労働に一番適していたのではないでしょうか。坑内にはコンベアという機械があるし、発破をかけて石炭を掘りさえすればよかったから。それは素人でもすぐ出来るわけ。
 朝鮮募集がだんだん難しくなって、月産一万トンを割るようになった。募集するために郡長とか関係者に賄賂を贈らないと集まらない。遠くへ募集に行くほど釜山に戻るまでの経費が高くなり、募集期間が倍以上かかった。一人百円の募集費は、彼らの前借金として毎月の給料から差し引いたからね。本人が働いて返済するわけだから、炭鉱が負担する必要はなく立替えたに過ぎないんだ。
 炭鉱は石炭増産の使命があるから、政府から米とか酒の特配を受けた。贅沢ではなかったが、朝鮮人寮は一般よりも特別によかったことは確かだよ。炭鉱で真面目に働けば、食う物に困るということはなかった。
 メチルアルコールを飲んで一人が死亡したことがあるが、夜伽(ヨトギ)に行った朝鮮人が残りを飲んで二人が死んで大騒動した。
 ある日、坑内で自然発火があって密閉したところ、それを朝鮮人の誰かが小倉憲兵隊に投書して、中にいる抗夫を何故殺したのかと油を絞られました。

(2) 圧制の要素
 圧制の要素というのは、いっぱいありましたからね。橋川は入坑させるだけ自分の収入になるので、指導員を使ってかなり脅していましたよ。彼は翼賛会と協和会の県の幹部で”一億総火の玉”と朝鮮人にハッパをかけていました。
 寮の構造は中央に通路があって、両端に部屋があるから、中の行動が手に取るように分かった。
 陰に隠れて賭博をやる朝鮮人もいたので、すぐに止めさせたですよ。賭博のやり過ぎは、翌日の採炭に支障をきたすからね。
 実際、橋川に全部の管理を任せたが、頭に乗って私を通り越して抗長などと、直接話をすることがあった。
 「おい、橋川。俺には後にも目があることを忘れるな」
 と、どやしつけたことがあります。休んでいる抗夫まで入坑したように報告して、その分を猫ババしたわけでね。それを指摘されると、自分のやっていることが全部バレてしまうから私だけには一目置いて恐れとった。同胞を食いものにしたことだけは確かだね。


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2 コメント

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Unknown (ojirowashi-ayame)
2020-02-22 03:08:15
 今日のイントロ、とても気に入りました。毎度のことながら、“俊嶺節”、冴えてますね。対韓輸出規制、G-SOMIA、モリカケ・サクラ、内閣人事局にNHK、まったくおっしゃる通りで同感です。私たち日本人がこれから生きていく道は、近隣諸国との共存・共栄しかないのです。
 私は“国益”という言う言葉は好きではありませんが、近隣の人々と手を携えて平和なアジアを築いていくことが何よりも必要でしょう。大東亜共栄圏やら八紘一宇にならない限り、アジアの国々と戦争をしないことによってもたらされる“国益”であれば、甘受できるでしょう。
 そのためには、”過去の反省”が何より重要です。通り一遍の言葉だけではなく、反省に伴うしっかりした謝罪と賠償は避けて通れません。それと、日本の歴史を学校でしっかりと教えることです。私たちが、二度と馬鹿なことをしないという“証(あかし)”のためにもね。こんなことを言うと、「自虐史観だ!」と言う人がいますがね、中国や韓国・朝鮮は日本に攻めてきたことは一度もないけれど、彼らの国を侵略したのは、歴史上いつも日本人です。
 その意味で、このブログの価値は計り知れません。これからも続けてくださいね。
返信する
元気が出ます。 (syasya61)
2020-02-22 10:52:48
ojirowashi-ayame様

 コメントをありがとうございます。
 
 私は、父母から聞かされた戦前・戦中の塗炭の苦しみを忘れることはできません。また、いろいろな戦争に関わる研究や証言をきちんと踏まえて歩まないといけないと思っています。
だから、若い人たちに、できるだけ隠蔽されがちな情報をつたえるべく、いろいろな書籍にあたっています。自らの利益を度外視して、貴重な調査や研究をされている学者やジャーナリストの努力が埋もれてしまわないようにするのが、私の役目のような気がしています。

>これからも続けてくださいね。
 ありがとうございます。がんばります。
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