当時の昨朝は、正に午前0時、競争の姿で暗闇の中を用意ドンで校門を出発した。遠行競争である。不動岡から秩父神社までの強歩の競技である。往路は確か64㎞である。校門から熊谷辺りまでは駆け足が続くものの、その先は徒歩になったり疲れて、連続終始走り続ける訳には行かない。波久礼から長瀞あたりまでは、徒歩の学生が目立つようになる。この競争で順位は兎も角、秩父神社に到着せねば、大事な教練の点数や体育などが合格出来ないからである。それこそ皆一生懸命に走り続けた次第である。4年間毎年この競争に参加した成果が教練の成績に跳ね返るので、皆真剣になるのである。それは当時戦時下の挙国一致の国民総動員体制下なのであるからである。戦後76年の今、当時の事柄は、全く想像も付かないくらいの、緊迫した国民皆兵の軍事体制下なのであったからなのである。ただ、その競争を終えた15歳くらいの中学生の心境は、誠に、清々しく達成感に燃えて居た様で、私自身その様な自覚であった事を具に憶い出している。