たったの週二日のみになって仕舞った牛乳配達、それももう2~3年前からで、配達員が居ないので、こうなって仕舞ったと、申し訳無いと言う、言い分で容赦なしという訳、世の中が便利で人が十分に働きやすい流通機構の中での数年前の結構な社会であった。ところが人口減少の影響で、人手が足りないとの謂われで、このところ社会の相当部分で、流通の不足が生じ不便となって仕舞った。牛乳配達などにも、その鳥羽っ塵が及んで、今は斯様な次第である。情けないこと夥しい。
ついぞ気を許して遊びに熱中した余り手背に傷を引っ掻き創を受けて仕舞った。仕様が無いと思いつつ付き合って居る負い創である。これで何度目か分からない程の回数である。メイは、しぃよげている面持ちだが、こちらもショックである。普段防護手袋を着けてのお遊びだが、今回は軽率にも着け居らず一瞬の出来事であった。動物にはその度合いが分かる筈がない。当然此方がその上を行ってって対応すべきなのだが、偶の油断が傷を招く。メイはソファーで寝ているが心なしか寝姿が寂しく可愛そうである。これからは、当方がきちんと対応すべきと反省している。今まで何度もこんなことの繰り返しでの失敗策である。メイには罪は無いと寝顔を眺め、パソコン向かっている今宵である。一昨日夜分に息子と医療の方向性について若干会話した。政治や軍事が絡んで世界は難しいと感得したが。世界は又世の中はむつかしい。偉い政治家や軍人たちの思惑が絡んで、平和人権を大事にする世界に、思うようにはならなようで、この先の行く末が思いやられる。
学生時代に個人の恣意で、話し方教室に通った経験がある。確かに自然の内、お天気に関しては誰しも文句の言いようが無い。これは事実で真理でもある。何か書いて、自分の訴えを残して置こうとすれば、お天気の事さえ書いておけば、無難であると教示された経緯を、80年前の学習の内容を今想い出すことさえある。家犬でも時間がある時には自由に寝転んで休んでいるものと思いきや、左に非ず、身近にあるものを矢鱈に弄り回して、その形態や機能を壊してしまうことなど、正に動物の生来の生きている性であると言って良いと思われる。今日もまた時間が有れば、メイとの付き合いが否応なしに迫ってくることが請け合いなのである。