日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

あれほどの不調なパソコンが!

2007年08月20日 | Weblog
2日がかりで取り組んで苦心惨憺した此のパソコン。どうにも不調が改善しないまま、旅行から息子が帰ってくるのを待ちこがれていた。帰宅して直ぐさま、また息子に世話になってしまった。あっという間に不調を改善(修理)してもらい、何と嬉しいことか!さすがと!思うこと頻りである。
早速、今日これからブログを書き始めよう。暑さも蝉の声も,自然の処方、配剤のように嬉しく喜びに満ちあふれた今日のこの時、息子に感謝しつつ記述している。
今日は娘の誕生日だ。此のパソコンが故障でブログのお誕生日祝の動画プレゼントが出来なかったが,取り敢えず携電のメールで、単文のお祝い文を贈って置いた。いま此のインターネットが修復したので、改めてヤフーのお祝い動画を贈って置こうと思う。

蝉時計

2007年08月17日 | Weblog
午前4時50分かなかな蝉(ひぐらし)、5時頃には、みんみん蝉、そして5時15分頃に、くま蝉や他の蝉の合唱が続く。夕方には午後4時半頃、ひぐらし蝉が夜の帳を淋しく報せてくれる。夏の季節の8月下旬頃の時期的には、つくつく法師蝉が、例えば埼玉辺りでは8月23日頃、啼き始める。夏休みの宿題が終わりましたか?と尋ねるように、少し淋しい声で啼く?のが、ずーっと小学校以来この方、蝉の声を聞く度に強く記憶に残っている。

 京都大文字五山の送り火

2007年08月16日 | Weblog
今日8月16日は送り火の日で、たまたまNHKで京都大文字五山の送り火の、実況中継を見学鑑賞した。このお盆中に、兄が鬼籍に入り、寂しさと共に、過ぎ去った日々と共に、兄の憶いが日ごと深まっていく感じである。菩提寺墓所の写真を掲げて、供養の印といたしたい。観測史上74年振りの今日日中の最高温度が埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で40.9度ということだ。道理で日本列島全体ががうだるような暑さで、猛暑列島そのものであると言うわけである。

炎暑の旅行先から大島を望む

2007年08月16日 | Weblog
例年にない酷暑、炎暑、猛暑、など様々な表現で新聞は書き立てているが、感覚的には炎暑が適当と思う。傾斜地から望む大島は快晴無風状態で岡田港の集落さえも良く望むことが出来た。その南に新島、式根島、その他も望見できる。それらの中の写真1枚を取り入れてみた。島がよく見えた翌日は曇りか雨などと言われもしていたが、ここ1っ週間、やがて10日余りは、全くの快晴炎暑だ。

暑さで電話もダウンか?即時対応に感謝

2007年08月16日 | Weblog
昨日からどうも電話の接続が普通ではない。インターネットが繋がらないので、電話機を調べると通話のツー音がでない上雑音だけが聞こえ、携帯電話で呼び出しても呼び出し音だけで呼び出しベル音が鳴らない。携電で113番に故障修理を依頼した。丁寧な応対で、早速3時間後に大きなNTTの修理車が到着、電柱から取り付け部分の雷避け安全機のフューズの故障と判明。取り替えていただき、接続OKとなり安心した。故障修理を思い切って申し込んでよかった。それにしてもこの暑い最中の修理迅速な対応に驚きNTTに敬意と感謝を表したい。暑さで継電器もダウンしたのだろう。これでメールも、インターネットも自由に使え便利で毎日が楽しみとなった。

炎暑8日目

2007年08月15日 | Weblog
今日は、8月8日より持続して8日目の猛暑であると気象庁は報じているが、実感としては炎暑8日間と言いたいところだ!
旅行中は専ら陽光を避けて、家の中や緑陰を選んで過ごしているが,矢張り家の中と言ってもクーラーが無いと、今年のこの夏は例年と異なり、過ごし難い程暑い。猛暑より炎暑と言われる所以だ。愛犬を釣れての旅行だけに尚更避暑には工夫が何時もよりも必要である。暑い夜には、来し方を振り返り,親族知人との交流の数々を憶い出しながら、銷夏しつつ目覚めては寝て、寝ては目覚めて過ごすのも、また一つの風情かしら!と思いつつ、昨夜は微睡んだ。靖国神社には常日頃から崇敬と感謝の誠心を捧げその志を維持し続けているものの、今年は残念ながら、今日8月15日は旅行中のため参拝を欠席した。自分のことを偖置いて、意気地のない政府の対応を、つくずく情けなく、無念に思う。言動不一致はこの国に普く蔓延ってしまったせいか。暑い夏に英霊の心を憶うや切なるものがある。

旅行中の葬儀

2007年08月12日 | Weblog
旅行の予定を立て出発寸前、兄の訃報が届いたため、当日10日出発して旅行地に一泊、翌11日私だけが車で故郷へ向かった。お盆休みとも重なり高速道路は何処も渋滞、普段なら3時間で行けるところが何と5時間も掛ってしまった。しかし十分儀礼を尽くして、葬儀の初めから終わり迄2日間出席した。兄が日頃お世話になった人や、近隣の方々にも挨拶を済ませた。お手伝いもなど可能な限り行って兄の供養がある程度果たせと思う。冥福を祈れたことに心残りがあるものの、少しく満足している。今日12日午後8時半、無事旅先に帰り同宿中の家族に報告。安堵して貰った次第。その他、2日間で往復450kmを安全に車で往来出来て、こちらの方も安心してもらった。お盆休みの旅行中、炎暑の最中での葬儀、長く記憶に残る事だろう。

嗚呼遂に兄死す

2007年08月10日 | Weblog
92歳の天寿を全うして今朝9時2分兄は不帰の客となった。思えば11年の年長で,戦時中召集を2度受けて応召,支那事変で中支に転戦、衛生兵として活躍、内地にあっては大蔵臨時陸軍病院に配属、負傷兵の介護治療の軍務に励んだ。家庭を7年間留守にして長男として実家を思う気持ちは如何許りであっただろうか。旅館業を留守中は義姉が中心となって切り盛りして采配を振り、2人の姉が手伝っていた状況で留守宅を守っていた。折角日本橋のさくら食堂で丁稚として腕を磨き、内田屋旅館店主として腕を振るう大事な時期の軍隊生活、戦時中後半に旅館と牧場を軍需工場に売却したため住むところが無く、菖蒲村三箇で製粉製麺業を開業して人生の再出発を経験した。大変困難な時代を生き抜き、2男1女を授かり、良い家庭を作り小さな幸せを楽しんでいた。これから人生を楽しもうと言う矢先、2年前自転車で転倒、大体骨頚部骨折で入院、寝たきりとなってしまった。思えば国の為、家の為に働きずくめの人生であった。いまお世話になった多くの事柄を想起し,安らかな眠りに哀悼の念一入であり、心から冥福を祈る次第である。19.8.10.

炎暑こそ憩いのチャンス

2007年08月09日 | Weblog
朝から33度を越す炎暑、明日からの二度目の旅行を控えて準備に心が弾む!日本中何処へ行っても真夏の暑さは変わらない。されば、風通しの良い木陰で寛ぐのが一番であろう。東京の家でクーラーを掛けて涼しく過ごすのも一法だが,こんな時程都会を離れて山野を漫歩することが,銷夏のコツであろうと思う。さあ明日からの持ち物を忘れないようにと、その都度憶い出した毎に準備しておこうと思う。メイは相変わらず朝の散歩とボール投げを終えて,ブラッシングと顔耳口両足を綺麗にしてもらって,それこそクーラの利いた涼しい部屋で寛いでいる。和やかで静かな風景そのものである。家内は相変わらずあれやこれや全ての準備に大忙し大童である。

暦の上では初秋でも猛暑

2007年08月08日 | Weblog
車で混雑を避けて田舎の道を急いで出掛けた。暦の上では、初秋とは言え炎暑で、クーラーなどあまり効果が無い程の蒸し暑さ。幸い病兄を見舞うことができ、暗黙の会話を交わしてきた。(会話は困難だったが)此の暑さをどうにか乗り切れるよう本人と家族を励まして、40分ばかり病床で付き添っていた。往復共に嘗てない程の道路の渋滞で、通常の倍の時間を要して帰宅したのが,夕傾6時15分、都合8時間のお見舞いだった。本人の表情から家族も、とても喜んでくれて、寝たきりで会話出来ず表情だけだった兄は、臥床のまま、右手を振って、別れを惜しんでくれたのには,大変驚いた。嬉しく感激の一瞬だった。一日も早い回復を祈りつつ、療養施設を後にした。この日、田舎の田園風景は見渡す限りの緑の稲の田圃が展開、とても清々しく吹くそよ風も爽やかだった。家内と病床見舞いの後の気持ちを語り合い、今日一日の、93歳の病兄見舞い記述の、1ページとした次第。