yukarikoの好きなもの
旅の写真や思い出
PCでの雑感を並べました。
 





※上の絵をクリックするとと「首里城公園公式HP」にジャンプします。
また、ポスター類は土産物店に貼ってあったたものです。


13年前もご近所ツアーで首里城を見学し、沖縄村も回りましたが知識もなく
首里城と「ハブとマングースの対決」だけが印象に残っています。
今回はもっと忙しいツアーでしたが、さすが二回目!
パンフと帰ってからのネット検索で後追い勉強をしました(笑)

特に首里城正殿の儀式以外に、王や王族の暮らしは?と関心が…。

新たに復元・公開された、赤い屋根に白木の柱、日本の書院造に似た
「書院・鎖之間」や琉球石灰岩の露岩に蘇鉄や松が植栽された庭園など
中国風の石造り門や正殿とは違った風情がありました。

首里城で行われている無料の宮廷舞踊も見たかったのですが、
東西410m、南北273m、面積約63,000㎡の広大な規模で築城形式は日本風
八つの楼門は全て中国風、石畳の坂道を早足で一周するだけで時間切れ!

せめてと思ってあちこちのポスターを撮影してきました。


下の地図を参考にしてPhotogooの14枚の画像をお楽しみください。
文字が多すぎて読み辛いですが、お許しを!

※宮廷舞踊の絵の上でクリックすると絵が変わります。


<<<


--------------------------------------------------------------------------
[簡単な琉球史]
 琉球王国とは1429~1879まで約450年、日本の南西諸島に存在した王制の国。

日本の鎌倉時代に当たる12世紀頃から各地に「按司(あじ)」とよばれる
豪族が現れ、抗争を繰り返しながら次第に整理・淘汰され、
1429年尚巴志が主要な按司を統括し琉球王国を確立。

中国、日本朝鮮、東南アジア諸国との外交・貿易を通して海洋王国へと発展。

 1609年春、首里城は四千の薩摩軍に攻囲され、王尚寧は城を明渡し降伏した。
薩摩軍は空城となった首里城に入り、宝物を略奪、軍船で鹿児島に運んだ。

 薩摩軍は、城を出て和を請う尚寧王までも捕虜として薩摩に連行。

駿府の大御所・徳川家康、また江戸の将軍秀忠のもとへ送った。
秀忠は王を哀れみ「早く帰って祖先の祭祀を続けよ」と帰国を許した。

 国王は島津氏から莫大な年貢の拠出を強要され、
二年五ヶ月後に那覇の地を踏むが、その後270年間の長きにわたり、
琉球は表向きは中国の支配下にありながら内実は薩摩の属国として
屈辱の歴史を刻む。

明治維新で成立した日本政府は1879年軍隊を派遣し首里城から
国王尚泰を追放し沖縄県の設置を宣言。これにより琉球王国は滅亡。

現在直系の子孫の方は東京在住とか…?




コメント ( 3 ) | Trackback (  )