長い時間海水浴をした後、陸に上がるといつまでも揺れているように感じることがある。
雪はそれと同じような感覚を、教室に居ながら味わっていた。

パチ、と目を開けると、天井がゆらゆらと揺れて見えた。
頭の上から足の先へ、血液がすうっと下がっていくような感覚だ。
あ‥目眩する‥

雪は深く椅子に凭れながら、ぼんやりと教室の中を眺めていた。
見慣れた風景が目眩のせいで、どこか色褪せた古いフィルムのように見える。
‥しかしながら、本来大学とは勉学に勤しむ場所のはずなのに、
一日も休むことなくゴタついたことが、ひっきり無しに起こっている。

教室という名の箱の中の、小さな社会。
社会の縮図のようなその空間の中で、雪は疲れた身体を投げ出し考える。
考えるのも面倒な程、頭の中が鳴っている。
さざ波のように、終ることなく。

不快に揺れる海の中で、徐々に神経が逆立ち始めている。
小さな波も積もり積もれば、やがて堤防を決壊させる。
ゆらゆらと揺れる不安定な空間。
雪はぼんやり目を閉じた‥。

そしてそんな空間から雪を引き戻したのは、機械的なゲーム音だった。
ピュゥンピュゥンという高い音が、海中から雪を引き戻す。

それは、隣に座る太一が手にしている携帯ゲーム機から聞こえて来る音だった。
太一は雪の方を振り向くことなく、ゲームに没頭している。
「ねぇ、面白い?」 「まぁ‥」

今までならば、ゲームをする太一を聡美は罵倒したものだが、今や聡美は太一を気遣ってゲームについて話しかけていた。
あたしも一緒にやろうか、と聡美は提案するも、太一はそっけなくそれを断る。
‥太一もこの頃は頭痛いよね‥。何だか肌も荒れてるし‥

横山との一悶着は思いの外余波が大きく、太一は最近すっかり無口になって、本来の奔放さは影を潜めてしまっていた。
ふと聡美の方を見ると、彼女は反応の薄い太一を見つめて溜息を吐く。

いつも笑いながらバカを言い合っている聡美と太一が、今こんなにもぎこちない‥。
雪は聡美に明るく声を掛けた。
「ねぇ、後でウナギでも食べに行かない?」

突然の雪の提案に、聡美は「わっ!マジで?!」と言って嬉しそうに笑った。
雪が更に「自分の奢りだ」と続けると、間に挟まれた太一も微かに笑顔になった。
「おぉ‥いいですネ~」

ようやく反応した、と言って聡美が親指を立てると、つられて雪もサムズアップだ。
和やかな雰囲気になりかけたと思った矢先、ぞろぞろと雪達と同期の男子学生達が三人の元にやって来た。
「よぉ太一。横山と和解したのかよ?」

仲良くしようぜ、と言って男達は太一の方を窺うが、当の太一はなんと彼等を無視した。
聞こえないフリをして、再びゲームにかぶりつく。

当然彼等は立腹し、太一に向かって声を上げようとする。
するとその前に聡美が声を上げ、シッシッと追い払うようなジェスチャーを彼等に向けた。
「あー!もうマジで止めてくれる?!詳しく知ってるわけでもないくせに、ほっといてよ!」

彼等は聡美にたじろぎながらも、俺等に矛先向けんなと言って言葉を続ける。
「平和に終わらせようとしたのに、アイツ一言も返事しねーんだもんよ。
しかも二回も俺等の科で暴力事件‥しかも横山にだけ‥」

男子学生は、なぜ太一が横山に手を上げたのかを知りたがった。それは科の男子全員が抱えている疑問なのだ。
彼等にとって、いつも雪と聡美とつるんでいる太一はどこか煙たい存在だ‥。

聡美が尚も彼等を追い払うと、男子学生は最後にもう一度太一に声を掛けた。
「とにかく横山と和解しろよな。このままじゃ科の雰囲気も良くねーしよ」

尚も返事をしない太一の横で、雪は呆れたような表情で彼等を睨んでいた。
すると後方の席から、癖のある声が聞こえて来る。
「大丈夫‥俺は気にしてないさ‥。皆もうそれ以上は止めてくれたまえ‥」

横山はまるで100%自分が被害者であるかのように、上から目線で発言した。
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、尚も言葉を続けてくる。
「まぁ後輩クンの機嫌が直ったら、一度酒の席でも設けようじゃないの」

一体どの口が言うんだか‥。雪が青筋を立てて横山を振り返った時だった。
太一が勢い良く立ち上がった。

太一はそのまま真っ直ぐに、横山の方へ向かって歩いて行く。
ビビった横山は咄嗟に腕を上げて顔を庇うが、太一は横山の隣を通り過ぎるだけだった。

拍子抜けした横山が太一の後ろ姿を目で追うと、そのまま彼は出口へと向かう。
そして結局、まだ授業は始まっていないのに、太一は退室してしまったのだった。

一触即発の張り詰めた空気がほぐれ、教室に居た面々はヒソヒソと噂話を繰り広げる。
苛立つ聡美に、居心地悪そうに咳払いをする横山‥。ザワザワと、小さな社会が揺れている。

横山は気を取り直すと、予め用意してあったメールを一通送信した。
前の席に座る雪が、震える携帯を取り出す。

携帯を見ると、メールが一通届いていた。
青田先輩関連の話があるから時間をくれ、と書いてある。聞かなければ後悔する、とも。

辟易した表情を浮かべた雪は、無言で後方の席に座る横山を振り返った。
横山はニヤつきながら、携帯をかざしてメールを送ったのは自分だと誇示をする。

雪は何も口にすることなく、苛立ちながら再び前を向いた。
予想通りの雪の反応を見て、横山は笑いを堪え切れずに一人吹き出す。

横山は雪の背中を見つめながら、自身の持つ切り札を思って笑みを浮かべた。
せいぜい無視し続ければいいさ。
どんな反応しようが、どうせ後で自滅すんのはお前だ、赤山雪‥。

すると今度は横山の携帯が震えた。
予想より早く赤山が反応を示したと、横山は早速メールを開く。

するとそこには一文字表示されているだけだった。
否、文字というより絵文字の部類のそれは‥。
F◯CK!

思わずカッと来た横山は、「こンの‥!」と言いながら顔を上げる。
こめかみに青筋を浮かべながら。

しかしそれきり雪は横山を無視し続けた。
こんな変な奴、相手にするだけ時間の無駄だと。

悔しそうな表情で、横山は雪の背中を睨めつける。
セットした時限爆弾を手に横山は、爆発する機をじっと窺っている‥。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<小さな波>でした。
今回雪が提案したウナギ‥。
作者さんもウナギを食べに行ったそうですね^^
スンキさんのブログの、2013.7.29の記事にその写真がありました~
http://blog.naver.com/soonkki
そして疲弊に沈み込む雪ちゃんが、この回では印象的でしたね。
この時の表情を先輩が見たなら、きっとその気持ちに共感したのではないでしょうか。
さて
次回は特別編となります。
モノクロで綴られる、雪の内面の話、先輩との関係‥。
楽しんで頂ければ幸いです。
次回、<特別編 あなたと私>です。
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雪はそれと同じような感覚を、教室に居ながら味わっていた。

パチ、と目を開けると、天井がゆらゆらと揺れて見えた。
頭の上から足の先へ、血液がすうっと下がっていくような感覚だ。
あ‥目眩する‥

雪は深く椅子に凭れながら、ぼんやりと教室の中を眺めていた。
見慣れた風景が目眩のせいで、どこか色褪せた古いフィルムのように見える。
‥しかしながら、本来大学とは勉学に勤しむ場所のはずなのに、
一日も休むことなくゴタついたことが、ひっきり無しに起こっている。

教室という名の箱の中の、小さな社会。
社会の縮図のようなその空間の中で、雪は疲れた身体を投げ出し考える。
考えるのも面倒な程、頭の中が鳴っている。
さざ波のように、終ることなく。

不快に揺れる海の中で、徐々に神経が逆立ち始めている。
小さな波も積もり積もれば、やがて堤防を決壊させる。
ゆらゆらと揺れる不安定な空間。
雪はぼんやり目を閉じた‥。

そしてそんな空間から雪を引き戻したのは、機械的なゲーム音だった。
ピュゥンピュゥンという高い音が、海中から雪を引き戻す。

それは、隣に座る太一が手にしている携帯ゲーム機から聞こえて来る音だった。
太一は雪の方を振り向くことなく、ゲームに没頭している。
「ねぇ、面白い?」 「まぁ‥」

今までならば、ゲームをする太一を聡美は罵倒したものだが、今や聡美は太一を気遣ってゲームについて話しかけていた。
あたしも一緒にやろうか、と聡美は提案するも、太一はそっけなくそれを断る。
‥太一もこの頃は頭痛いよね‥。何だか肌も荒れてるし‥

横山との一悶着は思いの外余波が大きく、太一は最近すっかり無口になって、本来の奔放さは影を潜めてしまっていた。
ふと聡美の方を見ると、彼女は反応の薄い太一を見つめて溜息を吐く。

いつも笑いながらバカを言い合っている聡美と太一が、今こんなにもぎこちない‥。
雪は聡美に明るく声を掛けた。
「ねぇ、後でウナギでも食べに行かない?」

突然の雪の提案に、聡美は「わっ!マジで?!」と言って嬉しそうに笑った。
雪が更に「自分の奢りだ」と続けると、間に挟まれた太一も微かに笑顔になった。
「おぉ‥いいですネ~」

ようやく反応した、と言って聡美が親指を立てると、つられて雪もサムズアップだ。
和やかな雰囲気になりかけたと思った矢先、ぞろぞろと雪達と同期の男子学生達が三人の元にやって来た。
「よぉ太一。横山と和解したのかよ?」

仲良くしようぜ、と言って男達は太一の方を窺うが、当の太一はなんと彼等を無視した。
聞こえないフリをして、再びゲームにかぶりつく。

当然彼等は立腹し、太一に向かって声を上げようとする。
するとその前に聡美が声を上げ、シッシッと追い払うようなジェスチャーを彼等に向けた。
「あー!もうマジで止めてくれる?!詳しく知ってるわけでもないくせに、ほっといてよ!」

彼等は聡美にたじろぎながらも、俺等に矛先向けんなと言って言葉を続ける。
「平和に終わらせようとしたのに、アイツ一言も返事しねーんだもんよ。
しかも二回も俺等の科で暴力事件‥しかも横山にだけ‥」

男子学生は、なぜ太一が横山に手を上げたのかを知りたがった。それは科の男子全員が抱えている疑問なのだ。
彼等にとって、いつも雪と聡美とつるんでいる太一はどこか煙たい存在だ‥。

聡美が尚も彼等を追い払うと、男子学生は最後にもう一度太一に声を掛けた。
「とにかく横山と和解しろよな。このままじゃ科の雰囲気も良くねーしよ」

尚も返事をしない太一の横で、雪は呆れたような表情で彼等を睨んでいた。
すると後方の席から、癖のある声が聞こえて来る。
「大丈夫‥俺は気にしてないさ‥。皆もうそれ以上は止めてくれたまえ‥」

横山はまるで100%自分が被害者であるかのように、上から目線で発言した。
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、尚も言葉を続けてくる。
「まぁ後輩クンの機嫌が直ったら、一度酒の席でも設けようじゃないの」

一体どの口が言うんだか‥。雪が青筋を立てて横山を振り返った時だった。
太一が勢い良く立ち上がった。

太一はそのまま真っ直ぐに、横山の方へ向かって歩いて行く。
ビビった横山は咄嗟に腕を上げて顔を庇うが、太一は横山の隣を通り過ぎるだけだった。

拍子抜けした横山が太一の後ろ姿を目で追うと、そのまま彼は出口へと向かう。
そして結局、まだ授業は始まっていないのに、太一は退室してしまったのだった。

一触即発の張り詰めた空気がほぐれ、教室に居た面々はヒソヒソと噂話を繰り広げる。
苛立つ聡美に、居心地悪そうに咳払いをする横山‥。ザワザワと、小さな社会が揺れている。

横山は気を取り直すと、予め用意してあったメールを一通送信した。
前の席に座る雪が、震える携帯を取り出す。

携帯を見ると、メールが一通届いていた。
青田先輩関連の話があるから時間をくれ、と書いてある。聞かなければ後悔する、とも。

辟易した表情を浮かべた雪は、無言で後方の席に座る横山を振り返った。
横山はニヤつきながら、携帯をかざしてメールを送ったのは自分だと誇示をする。

雪は何も口にすることなく、苛立ちながら再び前を向いた。
予想通りの雪の反応を見て、横山は笑いを堪え切れずに一人吹き出す。

横山は雪の背中を見つめながら、自身の持つ切り札を思って笑みを浮かべた。
せいぜい無視し続ければいいさ。
どんな反応しようが、どうせ後で自滅すんのはお前だ、赤山雪‥。

すると今度は横山の携帯が震えた。
予想より早く赤山が反応を示したと、横山は早速メールを開く。

するとそこには一文字表示されているだけだった。
否、文字というより絵文字の部類のそれは‥。
F◯CK!

思わずカッと来た横山は、「こンの‥!」と言いながら顔を上げる。
こめかみに青筋を浮かべながら。

しかしそれきり雪は横山を無視し続けた。
こんな変な奴、相手にするだけ時間の無駄だと。

悔しそうな表情で、横山は雪の背中を睨めつける。
セットした時限爆弾を手に横山は、爆発する機をじっと窺っている‥。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<小さな波>でした。
今回雪が提案したウナギ‥。
作者さんもウナギを食べに行ったそうですね^^
スンキさんのブログの、2013.7.29の記事にその写真がありました~
http://blog.naver.com/soonkki
そして疲弊に沈み込む雪ちゃんが、この回では印象的でしたね。
この時の表情を先輩が見たなら、きっとその気持ちに共感したのではないでしょうか。
さて
次回は特別編となります。
モノクロで綴られる、雪の内面の話、先輩との関係‥。
楽しんで頂ければ幸いです。
次回、<特別編 あなたと私>です。
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