
空には夕焼けが広がり、A大キャンパスは橙の陽射しに照らされていた。
雪はもう一コマ授業が残っていたので、空講時間に図書館のアルバイトをする。

返却された本を元あった棚に並べ、また取りに行って並べ‥の繰り返しだが、雪は真面目に取り組んだ。
そして一コマ分の労働が終わると、今日最後の授業へと向かう。

窓の外は既に暗くなり始めていた。雪はノートを取りながら思わず船を漕ぐ。
今日一日の疲れがどっと押し寄せ、何度も眠りに落ちては覚めての繰り返しだった。

思い返せば今日一日もまた、長い一日であった。
週末の疲れが残ったまま学校が始まり、朝の授業前にいきなり清水香織が突っかかってきた。
グループワークでは健太先輩と揉め、その後太一に対する横山の態度と変なメールにムカついて‥。




雪は疲れていたのだ。
その疲れは、帰宅途中の地下鉄でもとれることはなかった。

片道二時間弱の帰路。
地下鉄の単調な揺れに身を委ねながら、雪は深い眠りに落ちて行った。


気が付くと、雪は真っ暗な空間に一人立ち尽くしていた。
そこは暑くもなければ寒くもなく、見たことも来たこともない場所だった。

何故今自分はここに居るのか、一体誰に連れて来られたのか‥?
雪は何も分からないまま、ただその場に立ち尽くす。
すると近くでぼんやりと明かりが灯り、そこに人影が見えた。
見たことのあるようなないような、そんな女性が誰かに声を掛けている。
あ、香織ちゃん!今回首席だって?

奨学金も受けたんでしょう? いいなぁ!

女性が声を掛けている先には、笑顔で手を振る清水香織の姿があった。
周りの人達は皆、彼女を羨望の眼差しで見つめていく。
そしてその隣には、青田先輩の姿があった。
お疲れ様。夕飯でも食べに行こうか
はい~

彼が清水香織に向かって笑いかけている。
雪は首を傾げながら、「先輩‥?」と彼の行動を訝しがった。

どこかおかしい。
雪のその思いは、続いて目の前に広がった光景を見て尚の事顕著になった。
ダメージヘアー! 雪さ~ん 雪~! 姉ちゃん!交通費ちょーだい! 雪ねぇ~

皆が雪の名を呼んでいる。
いつか見た甘い夢の中で、自分に向かって微笑む大好きな人達が。





しかし今彼等が囲んでいるのは、自分ではなかった。
赤山雪が居るはずの場所には、清水香織が居るのだった。
「な‥何なの‥?」

雪は信じられない思いで、目の前の光景を眺めていた。
彼等はここに居る自分には気づかずに、楽しそうに笑いながら行ってしまう。
「?!」

すると雪の足元に、突然誰かが足を引っ掛けて来た。
雪はそれに引っかかり、その場で派手に転んでしまう。

雪は暫く痛さで動けず、その場にうずくまっていた。
這いつくばったような格好で。

するとヒタヒタと、何かが近付いて来る気配がした。
雪が顔を上げると、そこには見知った顔が雪を囲むようにして立っている。

その人物とは柳瀬健太と横山翔、そして清水香織であった。
目を丸くする雪を見て、彼等はクックックと可笑しそうに嗤う。

雪はその場から動けなかった。しゃがみ込んだ体勢のまま、顔面蒼白する。
エコーがかかったような三人の不気味な笑い声が、暗い空間に響き渡った。

そして次の瞬間、ギョッとするようなことが起こった。手のひらが透けて、向こう側が見えているのだ。
暗い空間に、ゆっくりと溶けるようにして自分が消えて行く。

すると向こうの方から、もう一つこちらに近付いて来る影が見えた。
ヒタヒタと静かに、その長い足はゆっくりとこちらに向かって来る。

既に半身が消えかかっていた。
顔を上げた雪は、近付いて来たその足の主を見て目を見開く。

彼は消えて行く雪を眺めながら、平然とした表情で彼女と同じ目線に合わせ、背を屈めた。
雪は消え入りそうな声で、彼を呼ぶ。
「先輩‥」

徐々に暗転していく視界の中で、最後に見たものは彼の笑みだった。
まるで裂けたように上がる口角。あの奇妙な笑みー‥。

全ては彼の思惑の中、奪われていく自分、消え行く存在、去って行く大好きな人達。
雪の潜在意識の中に、昼間目にした彼が居る‥。


バッ、と雪は顔を上げた。
目の前に広がる光景は、見慣れた地下鉄のそれだった。

いきなり大きな仕草と共に起きた雪に、周りの人達は訝しげな視線を送る。
雪は決まり悪さを感じながら、一人頭を掻いた。

背中に、嫌な汗をかいていた。
血の気が引くような、あの身体が消えて行く時の感覚が、未だ残っているような気がする。
何これ‥?超変な夢‥。

ドクドクと、鼓動が早鐘を打っている。血液が指先まで流れているのを感じる。
しかし先ほど味わった自分の身体が消えて行くあの恐ろしさは、あの嫌な感覚は、
到底拭い去ることは出来なさそうだった‥。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<彼女の潜在意識>でした。
昼間目にした先輩のあの姿‥。

あの時の不信感が、潜在意識として夢の中に出てきちゃったんでしょうね‥。
キス以降、表面的には彼に対して恋心と信頼感を感じていた雪ちゃんですが、根本にある不信感が拭い去れてないんです。
だからこその、最後のこのラスボス感‥。

彼氏なのに‥orz
次回は<落ち着ける場所>です。
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