福岡、本日降ったり止んだりです。
県内に雨の警報や注意報が出されている地域もあるようです。
午前中はひどく降る時間があるようです。
気温は下がる予報で、実際エアコンなくて大丈夫かなという状態でしたが、しばらく動いていると汗が流れてきて、今日も一日エアコンが必要だなと思っております。湿気が凄いです。
さて、今日はちょっと暗めな話。
これからの健康、生活について、自分なりに前向きに整理ができた話ではあるのですが・・・
4月からジムに通い、週3、4回通って疲れているという話をちょっと前に書きました。
そもそも私がジムに通い始めたのは、これから年を取るに従い、認知機能が衰えるから、身体が動かなくなるから、身体を動かして予防しようと思ったところからでした。
目指すはピンピンコロリ(ネットで調べてみると「死ぬ直前まで元気に生活して、病気で苦しんだり、介護を受けることなく死ぬこと」)。
できるだけ元気でいたい思いで、ジムに通い始めて気がつけば、平日の3日か4日にジムで時間を使っている。
ジムまでの往復の時間、ジムで運動する時間、汗をかいてシャワーを浴びる時間等々を考えると昼間のほぼ半日がつぶれてしまいます。
こんなに時間を使うとほかに何かの熱中する時間が取れない。
『ピンピンコロリ』のためだけにジムに通うのかという疑問が出てきました。
じゃ、ジムを趣味にするかというと、インストラクターさん的体形やボディビルダーを目指すのも違うなあと。
ジムの中で同世代の方を見て、健康づくりだけじゃなくて、自分の趣味のスポーツのためかなって想像して、じゃ自分もなにかスポーツを始めるかと考えると考えられるものとして、登山、マラソン、スキー、ゴルフ・・・
発想が貧困だから、「どれも人気があって、私の年齢くらいになると皆さんそれなりのレベル」というイメージしか湧かない。
そう考えると今から始めるにはハードルが高いし、そもそも今までやってないということはやりたくなかった&合わないってことだから・・・
ということで、スポーツのためのジム通いっていうのもなし。
日々やりたいことをして、淡々と過ごす・・・をこれからのモットーにしようと思っているのに、ついやっていることの意味を考えてしまう。
ジム通いで時間が取られて何が悪い。ジムで身体を動かしていると楽しいし、それなりの効果が出ているはず。
まあこれまでいろいろウジウジと考えて 生きてきましたから、そうそう思考パターンが変わるわけではないです。
そんな中、ある本を読んでハタと気がついた。
読んだのは、厚労省で仕事をされてきた香取照幸さんという方の『民主主義のための社会保障』という本です。一般向けに社会保障について分かりやすく書かれたとても読みやすい本です。
ちなみに2017年6月に『教養としての社会保障』という本を出されていて、2020年にそれを読み、すごくおもしろかったので、2021年2月に発行された今回の本を即買いしたんですが、手に入れて安心して、今まで本棚に眠っていました。
本の名前を紹介したものの、私の気づきは本の内容とあまり関係がなくて、
その中に掲載されていたグラフを見ていて、「人は、原因がないと死なない」ということに気がついた。(何を当たり前のことを・・・ですが)
ピンピンコロリをしたいと願っているけれど、そのコロリになるって必ず原因がある。結局ずっと健康でも人間死ぬときは病気になって病院のお世話になったり、一人で生活できなくなって介護が必要になる。
元気な状態から突然亡くなるっていうのは、脳血管や心臓の突然の病気や災害、事故?
自分がどんな死に方をするのか怖いし、自分で死に方を選べない。
どんなに健康でいたいと努力しても、ずっと健康でいて、突然幸せに死ぬっていうことはほとんど望めない。
結局人間って独りで死ねないし、自分に起きたことを受け入れるしかない。
そんな当たり前のこと今頃気がついたんですか?と人生の達人たちには言われそうですが、
いま目の前のことに目を向けて、日々粛々と生きて参ります。
ジム問題と話がずれた感がありますが・・・
そして、もちろん我がジム問題は解決しておりません(笑)。