円安とその円安での輸入品の価格で物価が上がっているが、例えば100円の商品が110円になったからと言ってその商品の価値が10円高まったかと言えるだろうか?
アメリカ人から見たら100円だろうが110円だろうがその商品は1ドルで買えるのである。そうするとその商品は価格だけが変化しているだけで価値そのものに変化はないとみることができる。それは国内においても同じで100円という価値の商品が110円という価格に変化しただけなのである。
価格だけの変化なのだから価値に変化はない。価値変化がなければその商品を同じ量だけ生産していても価値の増加はないわけだから経済の成長には結びつかないだろう。
一方で労働力の価値にも変化はないわけで、しかしその価格が上がらなければ(賃上げ)労働者の賃金でその110円に上昇した商品をどのくらい変えるかとなれば10%減るわけである。それは相対的な労働力の価値減少と同じことになる。ここから国内消費は減少するでしょう。
すると110円になった商品の市場での売れる量は減るわけだからその商品の製造自体も減らさねばならない。
商品量を減らさねばならないということは経済の後退につながるということである。
輸出で仮に同じ量を売ったとしても10%の利益が増したことになるかといえばそうはならない。同じ量を売っても商品の価値からすれば同じ価値量の利益にしかならない。やはりアメリカ人からは1ドルしか受けとれないのである。しかし貨幣量は円としては多く受け取るが逆にその商品を生産するのに必要なものを輸入するとすれば円とすれば高い価格で買わざるを得ない。結局商品価格が上がっても受け取る利益には変化はない。すると110円で売ってもそれを生産するための費用が高くなるので100円で売ったことと同じことになるかもしれない。するとその100円をドルに換算すれば0.9ドルとなる。実際は1ドルの利益があるはずなのに0.9ドルしか得られなくなる。結局は経済は成長などしないのである。この中から貿易収支にも影響してくるでしょう。
そもそも実体経済に変化がないのに通貨安が進むということはその国にとっては国力を下げるということになる。通貨安を人為的に進めている間はいいがそれが国力が落ちてきて経済の状態が悪くなるならその通貨安は実体経済を反映したものに落ち着くだろう。するとその円安は人為的なものから離れて経済法則にのっとた通貨安に質的に変化するだろう。
アメリカ人から見たら100円だろうが110円だろうがその商品は1ドルで買えるのである。そうするとその商品は価格だけが変化しているだけで価値そのものに変化はないとみることができる。それは国内においても同じで100円という価値の商品が110円という価格に変化しただけなのである。
価格だけの変化なのだから価値に変化はない。価値変化がなければその商品を同じ量だけ生産していても価値の増加はないわけだから経済の成長には結びつかないだろう。
一方で労働力の価値にも変化はないわけで、しかしその価格が上がらなければ(賃上げ)労働者の賃金でその110円に上昇した商品をどのくらい変えるかとなれば10%減るわけである。それは相対的な労働力の価値減少と同じことになる。ここから国内消費は減少するでしょう。
すると110円になった商品の市場での売れる量は減るわけだからその商品の製造自体も減らさねばならない。
商品量を減らさねばならないということは経済の後退につながるということである。
輸出で仮に同じ量を売ったとしても10%の利益が増したことになるかといえばそうはならない。同じ量を売っても商品の価値からすれば同じ価値量の利益にしかならない。やはりアメリカ人からは1ドルしか受けとれないのである。しかし貨幣量は円としては多く受け取るが逆にその商品を生産するのに必要なものを輸入するとすれば円とすれば高い価格で買わざるを得ない。結局商品価格が上がっても受け取る利益には変化はない。すると110円で売ってもそれを生産するための費用が高くなるので100円で売ったことと同じことになるかもしれない。するとその100円をドルに換算すれば0.9ドルとなる。実際は1ドルの利益があるはずなのに0.9ドルしか得られなくなる。結局は経済は成長などしないのである。この中から貿易収支にも影響してくるでしょう。
そもそも実体経済に変化がないのに通貨安が進むということはその国にとっては国力を下げるということになる。通貨安を人為的に進めている間はいいがそれが国力が落ちてきて経済の状態が悪くなるならその通貨安は実体経済を反映したものに落ち着くだろう。するとその円安は人為的なものから離れて経済法則にのっとた通貨安に質的に変化するだろう。