夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2014年 9月 6日(土)「生産性の向上の二面性」

2014年09月06日 22時41分07秒 | 「政治・経済」
初めに断わっておきますが、ここでの生産性の向上というのは労働者の賃金や下請けや孫請けの単価を切り下げるというものではありません。これまでの日本は賃金をコスト面から見て賃下げを行えば企業利益が出るのだからその面で賃下げは生産性を上げると考えていたのではないかと思う。それは安い労働力を求めて海外に進出すつというのも同じでしょう。
しかしこのような方法は本来の生産性の向上ではない。
労働力も資本主義社会では一つの商品となる。その商品を労働者は元が取れないくらいに買いたたかれるというのは経済法則にも反するわけですから。
生産性の向上とは、より少ない労働力量(労働時間)でより多くの商品を生産することです。
労働時間については同じ労働時間でも労働の密度や強度で労働力の消費量が違うわけですから過度の労働密度や強度は賃下げと同じですから、賃下げというものを本来の生産性向上はしてはならないということですからここでも過度の労働はさせてはならないということで社会的な平均的な労働力の支出とします。ですからブラック企業などといわれる企業は経済法則に反する企業となります。
ですからここでもブラック企業といわれるような反社会的な企業ではなくて健全な企業活動を行っている企業での資産性の向上を見ます。もちろん日本も国外もこのある程度歴史的に発展した段階としての健全な企業により経済は成り立っているのです。
生産性の向上はより少ない労働力量(労働時間)でより多くの商品を生産しますからその生産力によって一般国民にも多くの商品が行き渡って豊かにしていきます。これは今までの資本主義の発達の中で実際に起こったことです。ではなぜより多くの商品が一般国民にも行き渡るのでしょうか。資本主義は商品経済ですから商品をより多く一般国民が買うことができなければその大量の商品は行き渡りません。ですからある経済法則によって行き渡る必然性があるとみるのが自然でしょう。その経済法則というのは、少ない労働力でより多くの商品が生産されるのですからその商品は価値が低下をするということです。価値は価格に反映されますから商品価格も下ります。商品価格が下がれば当然その商品を買うことができる一般国民も増えていきますからそこから大量の商品が一般国民に行き渡るのです。
このように生産性の向上の一つの面が一般国民の生活を向上させるということになります。この生活の向上は何も物質的な豊かさだけではなくてより少ない労働時間で同じ商品量を制sンできるということでもありますから労働時間の短縮にもつながります。これも資本主義の歴史の中に見える事実でしょう。
一方での生産性の向上のもう一つの側面は、商品価値が下がるのですから企業は同じ商品量を生産していては利潤が低下していってしまいます。そこで常に拡大再生産を行わねばなりません。ですから今の日本も成長戦略と言いますしGDPの生産面が問題となる。しかし生産性の向上が競争するすべての産業内の企業で一般化されていくと商品は爆発的な勢いで市場にあふれますから過剰生産となる。そこでは拡大再生産は難しくなる。企業利益は減少をする。
先進国では第一の面と第二の面が互いにぶつかり合うことになり、それが一つの矛盾として現れる。
そこで先に触れた様な賃下げやブラック企業などというものも現れる。
資本主義というのはもともと企業利益のための経済組織ですからこの矛盾解決を企業利益の維持に向けます。それが経済指標にもなってしまいます。
一方では労働者は商品が市場に有り余るほどあるのだから分け前をよこせとなる。
経済矛盾は階層(階級)矛盾となる。
これが資本主義と社会主義の対立になるわけですが、実際は資本主義も福祉国家という形態をとりましたし、社会主義も今の中国を見てもソビエトを見ても資本主義的要素を多分に残しながらの経済です。資本主義も社会主義も国家が前面に出て経済を左右するしかないわけです。その中間的な位置に社会民主主義があります。
資本主義も発展すれば社会民主主義的にならざるを得ませんし、社会主義も完全な商品経済をなくすといったような共産主義経済となるには無理があって現実は社会民主主義的な経済です。社会主義が負けたが資本主義も負けつつあるといわれることもありますが、そこには社会民主主義が残るのではないでしょうか?
そこで先の生産性向上の二つの側面の矛盾は一定程度解決をしていくでしょう。
コメント
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