夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2014年 9月7日(日)「絶対と法則性」

2014年09月07日 22時59分11秒 | 「思うこと」
人が知りえることには限界がある。その意味において人は知ることができない。だからそこに絶対だという判断は成り立たない。また人の営みだから決まったものはない。そこに絶対性を入れれば間違いとなる。
たしかにこのような絶対性は完璧に知ることもできないし絶対的な正しい人の行動もない。
しかしこのような思考方法には大切な思考が抜けている。
それは時間の流れからの発展性である。江戸時代の人々が知ることができない事柄についてはその江戸時代の人々にとっては知りえないもので知ることはできないものだった。しかし現代人はその江戸時代の人々が知ることができなかったものを知っている。そして現代人が知ることができないものを持っていても未来の人々は知ることができるだろう。このように時間の流れの発展性を見ると知ることはできないといわれたものを知ることができたわけです。
人が知りえることには限界がある。この言葉はその人が生きている時間の中において知ることができないものだが、発展の過程で知りえるものへ変化する。人が知りえるものには限界はないとも言えるだろう。
ではなぜこの知ることができるというある意味の絶対性はどこから来るのか?
それはその時に知りえないものを知ろうとする中で生まれる法則性の発見である。
今の科学も、今は知っていないが今知っているものの法則性の中に知りたいものを発見する。もちろんその法則性の判断に間違いがあれば知ろうとする者も知ることはできない。そこでその法則性を修正しながら知ることができるというところまで到達ができる。その法則性が正しいならば時間の流れの中での発展性が知ろうとする知るべきものを知ることとなる。
絶対性はないが法則性はあるのです。
その法則性は絶対にこうなるというものではなくて人の営みなら全く同じ現象が出るのではなくて特殊性が出る中でのその中にある法則性の一致です。資本主義でも全く同じ資本主義ではなくて日本なら日本の特殊性を生みながらやはり資本主義であるという法則性のなあに位置づけられるというように。
コメント
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