夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

池に浮かぶ月53【2月22日】

2018年02月22日 19時59分48秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は手作り弁当について。毎日だと飽きてしまいますが手作り弁当には独特なうまさがありますね。
手作り弁当で思い出すのはやはりお袋の弁当。。。。
おかずがたくさん入っているわけではなかったですが美味しかった・・・・
お袋の作る卵焼きは黒い卵焼き。醤油をたっぷり入れて砂糖で甘くしたものでした。子供の頃、友達の弁当の卵焼きはkでしたが、僕だけ黒い。でも、これがおかずにもなるしうまかったです。t

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

2月22日という日」

【2017年】ツイッターつぶやきごはんがたくさん残っているから弁当を作ってもらった。 昨夜の夕食の残りものかな?でも、残り物はないはず。。。。。では、何が入っているんだろ?......

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2018年 2月22日(木)「決められない政治と決められる政治」

2018年02月22日 11時02分52秒 | 「思うこと」
与野党伯仲による決められない政治が安倍政権前には続いていたが、この決められない政治は議員の劣化からのスキャンダル国会に明け暮れなければならなかったという国会倫理と民主主義の欠如からでした。決められない政治にうんざりした中で決められる政治がはじまったが、さらに民主主義は形骸化した。
民主主義は多数決だといわれていますがこれは大きな誤解です。少数意見のどこに間違いがあるから多数意見にするというのならわかるが、この過程には国民に分かりやすい討議が必要です。ここで初めて多数決でも民主主義は機能するという事です。間違いでも多数なら決められるという民主主義は存在しない
間違いでも多数なら決められるという民主主義は存在しない。これを存在させてしまうのが数の力の論理です。社会の隅々にまでこの力による決定がされる。カネを出す客だから何をしてもいいなどという国民が増えていくのは当たり前になる社会です。ヘイトやハラスメントも言論の自由だとなる。恫喝も。
一方ではこの力による政治や社会、民主主義の形骸化した社会は必ず経済面でも矛盾を現す。力による損得勘定がはじまればカネは吹き溜まっていき1%99%社会が当たり前となる。経済的格差の拡大は掲示を混乱させて1%内の内部闘争にも。もちろん中間層は下層に続き没落させられながら。
派遣労働などの不安定雇用や労働の規制緩和の促進は中間層を減少させていくでしょう。もちろんIT化が労働時間の短縮や労働の軽減につながらない力の社会は一方における過度の労働と中間層からの脱落者を産む。
(以上ツイッターから)
コメント (2)
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