夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

池に浮かぶ月49【2月18日】

2018年02月18日 18時22分17秒 | 「池に浮かぶ月」
去年はもう松葉ボタンの種をまいていたようです。
毎年増え続ける花。。。。楽しいです。3年目になりますが、赤色の花が強いようで他の色が少なくなってしまいました。
花が咲きだしたらうまく分けていきたいと思います。
花たちも進化の過程で現在生き残っているのでしょう。
ダーウィンの進化論は、弱肉強食で力のある生物が生き残ったといった勘違いがあるようです。進化論は、自然の変化(自然法則)
に適応できた生物が生き残っているというのが正しいと思います。自然法則に適応することが進化です。
人間の社会も同じで、力のある人間が生存競争に勝っているように見えますが、実際は経済を土台にした法則に適応した人々の社会が生き残って来たのでしょう。だから社会の進化すなわち発展です。生存競争に勝つような力のある人々というのは、ある意味その社会の発展に寄生しているだけかもしれません。
資本主義も曲がり角です。1%99%という力の世界が極端に顕在化してしまいました。しかしこれでは資本主義も維持できなくなり発展はしなくなります。社会を発展させるには平等と民主主義と平和を徹底しなければならない。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

「2月18日という日」

【2017年】ツイッターつぶやき暖かい出窓に小さな鉢で松葉ボタンの種を撒いておいたら芽が出てだいぶ大きくなりました。 小さな鉢ではもう限界なので植え替えてみました。 暖かい出......

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年 2月18日(日)「”輝く”とか”活躍”とか、言葉だけはいいが」

2018年02月18日 11時08分13秒 | 「政治・経済」
安倍内閣になり国民に期待を持たせる言葉が矢継ぎ早に出された。企業利益が騰がれば経済が発展して賃金も上がるとか、消費増税はすべて社会保障にとか、経済面を見ても結局は期待を持たせるための言葉で終わり、現実は半数近くの労働者が不安定雇用になりとどめは労働の規制緩和により雇止めが多発する環境ができる。賃金も円安誘導による悪性の物価高と税や社会保障費の増加により実質賃金は上がらない。社会保障は安定をしなく、生活保護に対するバッシングが。そしてわけのわからない統計いじりで経済は好転したとして10%への消費増税でしょうし、オリンピックに向けて煙草増税が検討される。
国民に期待を持たせるだけの言葉の中に「輝く」とか「活躍」という言葉がある。
女性が輝く社会と、女性や高齢者が活躍する社会とか。。。。。。
結局輝く女性は立ち消えになり、いまだに待機児童問題は解決しない。結局女性が輝いて括約などができる条件はこの社会には存在しなかったのです。ですから輝くという言葉はただのきれいな言葉でしかなかったという事で、自己解決の中に女性はおかれている。
活躍という言葉も単に公助はなくなり自助や家族間での共助あるいは低所得層同志での共助になっただけで、苦しかったら働けという意味にすぎませんでした。
そして昨日の朝日新聞1面に、「高齢者の就業促進 協調」という記事がありましたが、厚生年金部分が段階的に65歳支給に繰り上げられてそれが完了するかと思ったら70歳支給に引き上げる道筋ができるような中身です。70歳まで高齢者は活躍をして働くことを求めています。小泉伸次郎さんが「人生100年」などとぶち上げてこれに沿うように年金支給年齢の見直しとさらなる高齢まで働けという事でしょう。これが「活躍」の中身です。
”輝く”とか”活躍”とか、言葉だけはいいが、政治は勤労国民の生活の不安定化を企業利益のために促進しながら、女性や高齢者は低賃金に置かれていますので、搾取や収奪が輝くように進むという事です。その中で活躍をしろという事ですが、結局は苦しかったら働けという自助社会の促進です。だから現役世代は副業してもいいからさらに余計に働いて私的年金を考えろという提起です。副業というが、本業では月に100時間残業をして活躍しろいう流れですからね。。。。
高齢化社会が問題になっていますが、なぜ団塊の世代が生まれてしまったか。。。。。
先の戦争でたくさんの若い男女が死んでいった。戦後は労働力が足りないので「産めよ増やせよ」と。そして中学校を出れば集団就職。これを輝き活躍した世代という言葉でかたずけられないでしょう。少なくと政府はこのような言葉を使ってはいけないんです。平気で使うことができるのは国家が国家主義の考え方になっているという事です。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする