昨日書いた「遺産としての俳句」の続きです。
上野「遺産としての俳句」に次のように書きました。
「この過去の時間の流れは俳句界にとってはもちろん日本文化にとっても「遺産」です。
しかし俳句の歴史において発展をした過程が遺産だからと言ってそれが「俳句は遺産だ」とはならにでしょう。
俳句自体は遺産ではなくて生きていて未来に向かって発展をするものですから。
俳句自体を遺産としてしまうと伝統的な過去の俳句の歴史がそして過去の俳句自体が俳句であると定義をされてしまう危険性があります。それは俳句を壊してしまう結果となります。」
俳句自体が遺産ではなく、俳句が進化しながら今に至った歴史自体が遺産であるという事です。ですから俳句の歴史自体の遺産をどう引き継ぎ発展させるかが伝統を引き継ぐという事になります。俳句をユネスコ無形文化遺産に残すならば、俳句自体を遺産とすることなく俳句の発展自体そして何を作り上げたかを遺産とすべきなんです。
では、この意味でこの遺産から現代の俳句界は何を伝統として学び、どう発展させるかがその責任となります。
これについて考える一つのための論文があります。先の「遺産としての俳句」でも紹介させていただいた福田若之さんが「有馬朗人氏に反対する 俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐって」を書いています。この論文は、有馬朗人さんのインタビュー記事「そこが聞きたい:世界のHIKU」への批判です。
有馬さんはインタビューにおいて
「豊かな自然あってこその俳句です。学校で子供たちが俳句を学ぶ目的の一つが自然の大切さを知ること。さらには自然を保護する心を養うこと」(引用)
と語り、また俳句の「ユネスコ無形文化遺産登録に向けて」で俳句で世界平和をとか俳句の平和性を書いていますが、これは俳句の歴史からの普遍的な遺産でも伝統でもないでしょう。
自然破壊からの季語の乱れはあるでしょうが、季語の問題からすれば居住する地域の差などからその差をどうするのかを考えてきた過去概算が遺産なわけで、自然の脅威を詠むのもまた俳句でしょう。平和をつくるというよりも戦争時にも俳句が読まれ、時には戦争養護のような句もあったかもしれませんし、戦時中にも日常と自然を詠んだものもあったはずです。
「俳句はその遺産から何を引き継ぐか。伝統とは。」につづく
上野「遺産としての俳句」に次のように書きました。
「この過去の時間の流れは俳句界にとってはもちろん日本文化にとっても「遺産」です。
しかし俳句の歴史において発展をした過程が遺産だからと言ってそれが「俳句は遺産だ」とはならにでしょう。
俳句自体は遺産ではなくて生きていて未来に向かって発展をするものですから。
俳句自体を遺産としてしまうと伝統的な過去の俳句の歴史がそして過去の俳句自体が俳句であると定義をされてしまう危険性があります。それは俳句を壊してしまう結果となります。」
俳句自体が遺産ではなく、俳句が進化しながら今に至った歴史自体が遺産であるという事です。ですから俳句の歴史自体の遺産をどう引き継ぎ発展させるかが伝統を引き継ぐという事になります。俳句をユネスコ無形文化遺産に残すならば、俳句自体を遺産とすることなく俳句の発展自体そして何を作り上げたかを遺産とすべきなんです。
では、この意味でこの遺産から現代の俳句界は何を伝統として学び、どう発展させるかがその責任となります。
これについて考える一つのための論文があります。先の「遺産としての俳句」でも紹介させていただいた福田若之さんが「有馬朗人氏に反対する 俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐって」を書いています。この論文は、有馬朗人さんのインタビュー記事「そこが聞きたい:世界のHIKU」への批判です。
有馬さんはインタビューにおいて
「豊かな自然あってこその俳句です。学校で子供たちが俳句を学ぶ目的の一つが自然の大切さを知ること。さらには自然を保護する心を養うこと」(引用)
と語り、また俳句の「ユネスコ無形文化遺産登録に向けて」で俳句で世界平和をとか俳句の平和性を書いていますが、これは俳句の歴史からの普遍的な遺産でも伝統でもないでしょう。
自然破壊からの季語の乱れはあるでしょうが、季語の問題からすれば居住する地域の差などからその差をどうするのかを考えてきた過去
「俳句はその遺産から何を引き継ぐか。伝統とは。」につづく