桜を見る会の中身がだんだんとそのひどさが報道されはじめています。
正体は様々な分野で活躍をした方を呼ぶことになっているのだそうですが、内閣の中で総理をはじめ招待客を割り振るわけですが、各省庁の大臣がその省としてみた活躍をした人を選ぶなら何ら問題はないはずですが、自分の事務所を通じて小たいきゃを選ぶのですから桜を見る会の私物化といわれても否定できないでしょう。
本来ならばこういうことは大臣として恥ずかしいはずですよね。
しかし恥ずかしさはどこ吹く風で地元の人に力を見せつけることに優越感やらを持ってしまう。自分には力があるという誇示です。
本当なら恥ずかしいはずのことも今の政治は恥ずることはなくなっている。
数の力などの力を持つとひどい場合には行き着く先は独裁です。好き勝手に恥ずべきことも平気になり、だれも批判しなくなります。
日本に政治を取り戻さないと大変ですね。
ずっと国会では大臣の不祥事やら地方でも議員の不祥事が続いている。国家内も省庁を含めて公文書や統計がへんてこになっている。ほんとは恥ずかしいことなのですが、時間がたてば国民は忘れる。逆に国民も政治の数の力になれてしまっている。慣れてしまう以上に損得を見てしまう。
正体は様々な分野で活躍をした方を呼ぶことになっているのだそうですが、内閣の中で総理をはじめ招待客を割り振るわけですが、各省庁の大臣がその省としてみた活躍をした人を選ぶなら何ら問題はないはずですが、自分の事務所を通じて小たいきゃを選ぶのですから桜を見る会の私物化といわれても否定できないでしょう。
本来ならばこういうことは大臣として恥ずかしいはずですよね。
しかし恥ずかしさはどこ吹く風で地元の人に力を見せつけることに優越感やらを持ってしまう。自分には力があるという誇示です。
本当なら恥ずかしいはずのことも今の政治は恥ずることはなくなっている。
数の力などの力を持つとひどい場合には行き着く先は独裁です。好き勝手に恥ずべきことも平気になり、だれも批判しなくなります。
日本に政治を取り戻さないと大変ですね。
ずっと国会では大臣の不祥事やら地方でも議員の不祥事が続いている。国家内も省庁を含めて公文書や統計がへんてこになっている。ほんとは恥ずかしいことなのですが、時間がたてば国民は忘れる。逆に国民も政治の数の力になれてしまっている。慣れてしまう以上に損得を見てしまう。