猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

切ない話   - ひまわり -

2005年08月27日 22時11分27秒 | 映画
東京MXTVで映画「ひまわり」をやっていた。

ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演で1970年に製作されたこの映画は、本編を見たことのない人でも、胸に迫るヘンリー・マンシーニの甘く切ない哀愁に満ちたメロディだけは耳にしたことがあるはずの名作。私自身は、いつだったか、子供の頃に1度見ているはずだが、幼心に、切なくて切なくて、けれどひとつひとつのシーンがとても鮮烈に心に残って、なんとも表現し難い気持ちになったことをはっきりと覚えている。それほど過激ではないが、ラブシーンもところどころにあるのに「いい映画だから」と見ることを私に勧めた母は、そういった意味では良い教育をしてくれたのかもしれないが、そういえば母は、このソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニのコンビが大好きで、「昨日・今日・明日」なども私に見せてくれたものだ。ただ、子供だった私にイタリア映画がどこまで理解出来たかは私自身にもよくわからない。
けれど、今日改めて「ひまわり」を見て、確かに人には歴史があって、私もそれを段々振り返る年齢となってきたのだと、だからこそ今はこの映画もより深く理解出来るのだと、子供の頃に見たときとはまったく違う切なさに支配されながら思った。

人は、時間を重ねてより多くの「思い」を理解出来るようになる。
人々の間に交錯する思いを、それぞれの立場を、自らが重ねてきた経験に照らし合わせて理解できるようになるのだ。
イタリアに残された妻と、ロシアの妻と、ただ生きなければならなかった男と、それぞれの立場で。
いい映画とは、ディティールを追求すればつじつまの合わないところもちらほらあるが、見ているうちにそんなことすら忘れさせてしまうものである。
そして、どのシーンを切り取っても、さながら一枚の絵画のように印象に残るものでもある。そして、この映画がそうであるように、いつまでも耳に残る音楽。そういった意味ではこの「ひまわり」はまさに<いい映画>の代表選手ともいえるだろう。

子供の頃にはそれほど理解できなかった二人の女が出会うシーンを、今では、両方の立場で考えては、狂おしいほど切なくなり、だからこそのラストが、今日になって初めて心から理解出来たような気がする、<切ない話>が大好きな私。
ちなみに私。楽器や音楽も(聴くのみだけど)、どこかしら切なく、官能的でないとダメなたちである。

そういえば昔、クラブ(踊るほうのね)のオープニングレセプションで演奏をするためにスタンバイしていた若い男の子(20代前半?)に
「ヴァイオリンって官能的だよね」って言ったらビックリしていたっけ。
そうだよなぁ.....。
「官能的」ってのも、大人にならないとあんまり理解出来ない言葉だよなぁ.....