猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

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猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

横浜は『初めて』の地。  <旧小机領三十三所観音霊場> 六番~七番 -

2008年05月10日 03時32分30秒 | 旧小机領三十三所観音霊場巡り

さて。
ただ今、三十三所あるうちの五番寺まで進んでおります巡礼報告ですが。

ここらで、またその続きをいたしたいと思います。

五番正観寺さんを出ますと、目指すのは六番随流院。

 

六番【随流院】<開創嘉吉元年>(1441年)
ここは、元は臨済宗のお寺として開山されたものの、後に曹洞宗に改宗。
1648年には、徳川家光より、観音堂に三石あまりの寺領が下賜された、とか。

緑多い境内の裏庭には清水が湧き出し、夏には蛍も見られるとか。
思えば、お寺のある場所には、水の豊富なところが多いなぁ。

 

振り返ってみますと、巡礼の旅の中でも、このあたりはまだまだ平坦な道のりで、
我々はこの後始まる登ったり下ったりのくり返しを、まだ知らずにおりました(笑)

横浜は海の街でもあるけれど、同時に高台も多い街。

 

手水鉢を見るのも楽しいけれど、鐘を見るのもまた楽しい。

 

特に、お寺には山の持つ神聖さが必要とされるのか、
それらがある場所は高台が多く.....
旅の後半、自転車を漕ぐ我々の腿は悲鳴をあげることとなるのでした(笑)

が。

今は話を戻しまして、『横浜』といえば開港・近代史始まりの街でもあるということで。

三十三所の中には、そんな開港にまつわるエピソードを持ったものもいくつかありました。

六番寺から日を改めて、我々が向かったのは、
横浜駅のほど近くにある七番寺。

 

こちら側と、向こうに見える高台(山)は、かつては繋がったひとつの山だったとか。
そして、足元には海。
....が、それらは削られ、埋め立てられ、線路と道路が出来て今の姿に。

 

交通量の多い道路脇を抜けて、急な坂道を登ると、歴史ある山門が見え......
それがこの本覚寺です。

 

 

ここは開港当時、初代アメリカ領事館として使われたお寺で、
その際、山門がペンキで塗られたという歴史も持っており、
それが同時に、『日本で始めてペンキが使われた』歴史へと繋がっています。

そのせいか、境内には全国塗装業者合同慰霊碑もあり、
また、山門にはほんの僅か残ったペンキの痕跡を見ることも出来るとか。

 

↑開港時、この山門が白く塗られた。

こういうものを白く塗るって...アメリカ人ってどんな感覚?

 

その後、この周辺は幾たびかの火災と震災、激しい空襲に見舞われたために、
往時の建物は山門と鐘楼堂を残すのみだそうですが、
静かで広々とした境内は、そのすぐ下にある喧騒を忘れさせてくれます。

 

七番【本覚寺】<開創嘉禄二年>(1226年)

 

 

ちなみに、この本覚寺。
『神奈川宿歴史の道』にも含まれ、以前にも我々はここを訪れていますが。

興味のある方は、そちらの様子もどうぞご覧下さい。
おまけ

......と、いうことで、さて。

旧小机三十三所観音霊場巡り記。
この調子だといつになったら全部ご紹介しきれるのか、ちょっぴり不安ですが。

まだまだ続きます(笑)

 

六番 【随流院】 横浜市保土ヶ谷区川島町501
七番 【本覚寺】 横浜市神奈川区高島台1-2