さてさて。
毎度色んなことを書いて、なんだかまとまりのない、巡礼報告記、ですが(笑)
十一番【松蔭寺】<開創建武二年>(1335年)
非常に静かな高台にあるこのお寺には、
その葉に傷をつけると黒く浮き上がることから『葉書』の語源となった、
タラヨウの木もあります。
我々が巡った、三十三所のお寺がまたがる、三つの市(横浜・川崎・町田)、
多くの区(横浜市内=港北・神奈川・緑・都筑・保土ヶ谷・旭・鶴見・青葉、川崎市内=麻生)
で感じたのは、町というのは様々な顔をもつのだなぁということでした。
「八犬伝」の里見家に縁のあるこのお寺の境内にあるお堂には、
お入道様と慕われ、即身成仏した里見義高公が祀られている。
仏門に帰依して鶴見のこの地で隠居した公は、
病苦の民衆を救うため、即身成仏して果てたのだとか。
こちらの仁王様は見事な造形。
妙にリアルで、なぜかユーモラス♪
例えば繁華街を持ち、労働者に溢れる町が、
一歩裏手に入れば、古い歴史と文化財を持つ、奥の深い場所だったり。
またはきれいに整備された西洋風の商店街に、
緑深く、由緒正しきお寺がデンと、あったり。
静かで、穏やかな時間が流れるお寺の境内では、
よく、猫の姿を見かけました。
そして、いつでもゴンザは、彼らによくモテる(笑)
ひと頃流行った『馬鹿の壁』ではありませんが、
興味を持って見なければ、何事も見ていないに等しいのだと.....
そう、見慣れた町に、見慣れないものを次々発見しては、
強く実感した巡礼路でもあったわけです。
十二番【歓成院】<開創永禄三年>(1660年)
東急東横線・大倉山駅前にある、ギリシャ風の建物が並ぶ商店街(笑)
にある、このお寺には、タイやスリランカ、チベットの仏像も安置されています。
こちらにはラジウム鉱泉が湧き出し、境内には珍しい、
上に向かって花が伸びる、白い藤がありました。
また、三十三所を巡る旅を通じては、訪れるお寺ごとに、
素晴らしい仏教美術に接することが出来たわけですが、
その中では、日頃美術館や博物館で遠巻きに眺める際より強く、
仏像のお顔立ちと、その造形に、各国からの影響を感じることが出来ました。
苔も汚れも欠けも、なにひとつ無駄のない美しさ
お寺さんの中には、タイやスリランカ、チベットの仏像をお持ちのところもあり.....
それぞれの特徴には、その地域が何を美としているのかがはっきり表れて、
それが芸術オンチ&美的センスゼロの私にさえも、
よくわかる距離で観察出来たからです。
(各お寺で色々と丁寧に説明して下さった皆様、本当にありがとうございました!)
十三番【園應寺】<開創年代不明>(墓石としては1644年が最古)
ご祈祷のお寺として有名だというこちらでは、
体育の日に行われる柴燈護摩(さいとうごま)が、
横浜市の無形文化財に指定され、
山伏による火渡り修行も行われるとか。
ちょっと変わったお地蔵様。
元の形はどんなだったのかな?
そして、やはり我々には、日本で生まれた仏像が一番に美しく見え、
それはまごうことなく、自分たちが日本人であるということを、
その自然の中で生きているということを、
再確認させてくれることでもありました。
この後もあちこちで見かけることになるかえる像。
これにはちゃんと意味があったんですね。
そういえば山門前の池には、おたまじゃくしもたくさんいました♪
詳しい知識はなくっても、見て、感じて、心が震えること。
そこには確かに、見えないルーツがあるということなのでしょう。
十四番【正福寺御霊堂】<開創年代不明>
鎌倉権五郎景政が戦で負傷し、この地で没した(1085年頃)際に、
その御霊を御霊権現としてお堂を建て、祀ったことが始まりとか。
こちらの観音様は武人の守り神と言われ、
願望が成就することが多かったと伝えられているそうです。
明るく、真新しい本堂は大きくって豪華!
緑と祈りと、命に満ちた、三十三所。
馴染み深く、目新しい、町の顔。
こちらの山門前には、左右に閻魔様とお地蔵様が並んで建っています。
これは非常に珍しいのだとか。
さて。
旧小机領三十三所観音霊場巡礼記。
まだまだ続きます。
十一番 【松蔭寺】 横浜市鶴見区東寺尾1-18-1
十二番 【歓成院】 横浜市港北区大倉山2-8-7
十三番 【園應寺】 横浜市港北区新吉田町4098
十四番 【正福寺御霊堂】 横浜市港北区新吉田町4569