猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

開けてはいけない箱・浦島太郎とイリジウム<旧小机領三十三所観音霊場> 八番~十番

2008年05月14日 00時32分40秒 | 旧小机領三十三所観音霊場巡り

さて。

巡礼そのものはかなりの勢いで成し遂げた我々ではありますが.....
なかなか進まない、その報告記(笑)

 

八番【宗興寺】<開創正保三年>(1646年)
今は現代的な建物のこのお寺でありますが、
文献を辿るとその歴史は室町時代まで遡るとか。別名『大井戸寺』。
このお寺の目と鼻の先には、かつて神奈川宿の本陣がありました。

また、135年前には、あの『ヘボン式ローマ字』で有名なヘボン博士が、
ここで施療院を開いていました。
このお寺に今もある『お天気井戸』は、かつて水量水質共に恵まれ、
「神奈川の大井戸」と呼ばれていたそうな。
この水は、二代将軍徳川秀忠がこの地に休泊した際茶の湯として用いられ、
また、明治天皇御東幸の折には御用水に指定された名水でもあるとか。
 『お天気井戸』と呼ばれた由来は、
水量が増えると翌日の天気が良くなると、そういわれたことかららしいです。  

 

しかし、少し前。
そんな二人の頭をガツンと、ぶん殴るかのようなニュースが飛び込んでまいりました。

 

【宗興寺】さんにいらっしゃる、本当に手が千本ある千手観音像。
こちらではご住職自ら、色々と詳しい説明をして下さり、
「写真もどうぞ」と、非常に気さくに接して下さいました。

 

皆様方の中にも、TV等で、その映像をご覧になった方もおられるのではないでしょうか。

千葉県内の検査会社から盗み出された放射性物質イリジウムが、
密閉容器から取り出され、横浜市内の川に捨てられた事件。

まさに、あの川が、我々の巡礼路の一部に添っていたのです。

 

同じく八番【宗興寺】内にある見事な一枚板のレリーフ。
ちなみにこのお寺もイリジウムが捨てられた川のすぐ側にあるのです。
まったくあの犯人め!

 

いえ。

そもそも、あの川は我が家が日常生活を送る際に、
頻繁にその横を行き来する位置にある、というのもあります。

かつて私がよく仕事をいただいたスタジオはこの川のほとりにありましたし、
ゴンザがチャリンコ通勤をする際にも、必ずこの川沿いを通る。

.....そして、あろうことか、
このイリジウムが、巡礼路に添った川底に沈んでいた時期は、
十二年に一度の子年観音公開の時期にぴったり合致していると、
こうきたわけです!

 

まさに川の目の前、九番【慶運寺】<開創天長年間>(824~833年)
明治初頭まで存在した浦島寺が廃寺・消失した際に、そちらののご本尊が
ここに移され、『浦島寺』『亀の子寺』とも呼ばれる。
周辺地区には浦島の名の残る土地もあり、浦島伝説が残っています。

だから手水鉢も亀さん。

 

この川の周辺には住宅も多くあり......
それが捨てられてから一ヶ月もの長い間、
イリジウムが身近にあったと知った住民の方々の不安はどれほどのものか。

住民の方の中には妊娠中の方だっていらっしゃるでしょうし、
体調の優れない方だっているはずで、いくら『人体に影響はない』などと言われても、
そうやすやすと、不安は払拭されるものでもないでしょう。

 

石碑の土台だって亀さん。
ちなみにこの亀さんの目線の先には、イリジウムの捨てられた川があります。
きっと亀さん、怒ってるね。

 

また、この子年観音の公開に合わせて、普段よりもはるかに多くの人が、
この周辺を訪れているのは明らかで、
今頃はあのニュースを見て、衝撃を受けている巡礼者の方も多いでしょう。

 

またこのお寺は開国当時、フランス領事館として使われ.....
さらに日本初の鉄道が境内を通ったため、本堂の場所を移転したという、
近代日本の歴史そのものを刻む場所なのです。

ちなみにこの子年観音に合わせたのか、看板が新しくなってました。
私はあの白くて古いのも好きだったけどなぁ。

 

なんでも、このいい年をした犯人は、この被害会社を『困らせたくてやった』と、
そう供述しているそうですが、己の勝手な恨み、欲だけで多くの人を危険にさらすなど、
まったく許されることではありません。

 

九番から、ちょっと距離が離れて、十番【東福寺】<開創寛治元年>(1087年)
このお寺は今から900年も前に、勝覚僧正という方が、夢のお告げにより
生麦の海から(あの生麦事件の生麦ね)、光り輝く如意観世音菩薩を発見し、
本尊としてお祀りしたのが縁起とか。

 

....と、なにやら巡礼報告のはずが、わき道にそれてしまった今回ですが。

九番の慶運寺に残る、浦島太郎の伝承の開けてはいけない玉手箱と、
このイリジウムの入った開けてはいけない箱では、
あまりにそこに介在するものに大きな違いがあるなぁと、
憤懣やるかたない、私なのでございます。

 

このお寺の山門の外のアスファルトの道路沿いには、小さなお堂があって、
中に『葬頭河婆像』、つまり奪衣婆(だつえば)像がありました。
奪衣婆とは、三途の川の前で「あんた、あっち」「あんたこっち」と、
そう指示するお婆さんらしいですが.....さてこのイリジウムを捨てた犯人は?
私だってまともじゃないから、人のことは言えませんがね。

 

ああ、この川のすぐ側で、観音様は、一連の様子をどのようにご覧になっていたのか.....。

 

ちなみにこの【東福寺】。
子授けの霊験あらたかで、「子生山」(こいけざん)とも呼ばれるとか。
また境内には芭蕉が近くを旅した際に、
あまりの桜の美しさに詠んだ句の、句碑もあったりします。

 

我が家の巡礼記。
まだまだ続きます。

 

そういえば先日書いた『不思議な出来事Ⅱ』のおばちゃんと、
はじめ出会ったのは、この境内でした。
このときはその後あんなに不思議な再会をするとは
夢にも思わなかった~。

 

八番 【宗興寺】 横浜市神奈川区幸ヶ谷10-6
九番 【慶運寺】 横浜市神奈川区神奈川本町18-2
十番 【東福寺】 横浜市鶴見区鶴見1-3-5