猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

いつか来る道、帰る道。【5月5日前編】お世話になってます<旧小机領三十三所観音霊場>二十四~二十六番

2008年05月23日 17時07分01秒 | 旧小机領三十三所観音霊場巡り

さて。

思わぬ素敵な誤算から、目指す二十四番寺までたどり着けなかった、
5月4日ですが.....

 

ああ、そういえば前日5月4日、
二十三番さんへ向かう途上でこんな方をお見かけしました。
この方、スイスイとその優雅な泳ぎを見せた後、
一生懸命陸に上がろうとしていたのですが.....
ご覧のとおり、川岸はコンクリートで固められ、傾斜が急なため、
なかなか上がれず、苦労なさってました(しまいにゃ首だけ岸に乗っけて休んでた)。
「行政の方~、こんなにそこかしこを固められちゃあ困ります」(byヘビ)

 

翌日5月5日。

我々はその余韻も、
あらためて向かう遠い道のりも楽しむ余裕を持って、
家を出たのでありました。

 

5月5日はこどもの日~♪
この日、鴨居駅から『ららぽーと』方向にある鴨池橋では、
地元の子供たちによる手作り鯉のぼりがたくさんはためいてました。

 

前日の走行距離は60キロとあって、多少の疲労はあるものの、
楽しいことのためならば、そんなことは大して気にならないものです。

夜もぐっすり眠った二人は、この日も元気にチャリンコにまたがり、
一路、二十四番さんを目指します。

 

今日も目指すは赤い幟~♪
フィールドアスレチック前の長蛇の列を横目に、
途中親切そうなご夫婦に道を尋ね尋ねやってきたのは.....

 

『こどもの日』にあたるこの日は、各地大変な人出が予想され、
大きな幹線道路沿いを行く我々にとっては、
この旅に自転車を選んだことが、後に「大正解~♪」となるわけですが、
(なんといっても自転車には渋滞がないからね)
えっちらおっちら坂道を行けば、そんなことを言ってるそばから、
目指すお寺手前にあるフィールドアスレチックには、
入場待ちの長蛇の列が出来ています。

 

二十四番【福寿院】<開創年代不明>(1671年?)
現在まで何度も荒廃しそうになりながらも、
そのたび村民総意で仏様を守り続けてきたというこのお寺。

優しそうな女性ご住職にぴったりの雰囲気の境内には、
たくさんの手入れの行き届いた花々がありました。

 

あいにく『五月晴れ!』とはいかないお天気ではあるけれど、
親に手を引かれ、これからそこで遊ぶ子供たちには、
きっとそれが、一生心に残る大切な思い出となるでしょう。

反抗期には気づかなくとも、ずっとずっと後になって、
それがどんなに大切なものか.....。

 

観音堂の脇には、こんなに可愛い父娘犬♪
しきりにほえるので怒っているのかと思い、
「ごめんね~、すぐに行くからね」と、いうと.....
「違うのよ、撫でて欲しくてほえるのよね~」と、ご住職。
なるほど、ナデナデするとほえるのをやめてくれました(笑)
「かわいい~♪」
ちなみにこちらの観音堂には、ワンちゃんや猫ちゃんの里親募集の張り紙もあり、
きっと心優しいご住職がそういった子たちを保護されている方と、
協力しあっているのでしょうね。
私は仏様の教えに詳しくはないけれど、きっと仏様も、
小さな動物たちが皆幸せに生きられる世界を望んでおられると信じています。

 

ゴンザが子供の頃に、そこで遊んだ思い出話を聞きながら、
私はペダルを踏み、旅路を急ぎます。

住宅街や畑の中を抜け......
かつての面影を残す風景に映るのは、各自の原風景。

「そういえばさ」
「昔さ~」

そう話せる思い出があるというのは、
人間にとって、やはり幸せなことなのだと.....

人はそれが遠い昔になって初めて、気づくのかもしれません。

 

二十五番【世尊院】<開創年代不明>
畑と丘に囲まれた、この小さな赤屋根が可愛らしいお寺は、
昭和23年子年のご開帳を控えた3月に火災に遭い、
残すところなく灰となってしまったそうですが、
その際檀家さんが木材を持ち寄り、一夜にして本堂を完成させたとか。
さらに戦後の混乱が続く中で、奈良の長谷寺まで出向き、
観音様をお迎えして、ご開帳に合わせたというお話まで。
地域の人々に愛されているって、寺社のもっとも「もとある形」な気がします。
ちなみに先日書いた『おばちゃんとの不思議な再会』の場はここでした!

 

大人になると色々あるけれど。
毎日色々あるけれど。
自転車を漕ぐときくらい、
懐かしい風景を見るときくらい、
子供に戻ってもいい。
(私は『365日、24時間子供』のダメ大人だけど・笑)

 

こちらの『力石』は、かつて力自慢の若者達が担いで力量比べをしたものとか。
大正の末ごろまで続いたその慣習は、毎年8月15日の午後に若者が集まり、
力比べの後は相撲、周囲には露店も出て夜遅くまで賑わったと記されています。
この力石の重さは、なんと米二俵分、113.5キロ。
気さくなご住職はゴンザに「体格いいし、持ち上げられるんじゃないの~?」と
そう言って下さいましたが......ええ、ピクリとも動きませんでした(爆)

 

巡礼路を行ったり来たりしながら、思いもまた行ったり来たり。

そして、いつしか見慣れた風景へ.....。

 

あっ、そうそう!二十五番さんから二十六番さんへ向かう途上で、
こんな建物、見つけました!
今は使われていないみたいだけど、これって牛舎だよね?
そういえば私がまだ子供の頃は、祖母の住む山形でも、
自宅の横に牛を飼ってるおうちがあったな~。
この建物にもそこはかとなく、牛糞の匂いが残ってました(笑)

 

そう。

この旅のはじめにも書きましたとおり、
我々がこの子年観音の三十三所ご開帳を知ったきっかけのひとつが、
畑の真横のお寺だったのですが、
いよいよそこに辿り着いたのです。

「いつもお世話になってます」

「あらためてよろしくお願いいたします」

 

二十六番【観護寺】<開創年代不明>(約500年前?)
我々がいつもその屋根を眺めながら畑仕事に励むお寺は、
その周囲をぐるっと、畑や田んぼに囲まれています。
かつては周囲の水田に映る逆さ富士が美しいことから
『富士見寺』とも呼ばれたとか。
このすぐそばにある川は昔、水量が多くてたびたび浸水に見舞われたそうですが、
今現在は氾濫もなし(すごく細くて水量の少ない川になってます)。
そういえばこのご開帳の合間にもこのお寺ではコンサートが開かれたらしく、
「様々な取り組みをなさっているのだ」と、他のお寺さんで小耳に挟みました(笑)

 

この2年というもの、我々は幾度となく、畑仕事をしながらこのお寺の屋根を眺め、
その風景に大きな安らぎを得てきたものですが、
よくやくこうして、正式にご挨拶をすることがかなって、
これからますます畑仕事にも精を出すことが出来そうです。

ただ、ちょうど、というかなんというか、
このときはどなたかの葬儀の真っ最中らしく、
写真を撮ったりとか、ゆっくりお茶をいただいたり、
というわけにはいかなかったのですが.....

これもまた、誰しもいつか来る道。

...というわけで、まだまだ続きます。

 

二十四番 【福寿院】 神奈川県町田市つくし野3-3-5
二十五番 【世尊院】 横浜市緑区北八朔町1010
二十六番 【観護寺】 横浜市緑区小山町677-9