さて。
ここまで前編・中編とお送りしてきた5月4日の巡礼記ですが.....。
参拝者が手を拭えるよう、手水鉢の上に、
ベビー服のように仕立てた可愛いタオルがはためいているのは....
二十番【真福寺】<開創年代不明>
永らく荏田宿(鎌倉街道)の人々を守ってきたこちらの観音様は、
平安時代末期の作で神奈川県の重要文化財。
本堂内には貴重な絵馬が奉納されていて、古くは180年前のものも。
(近くにある歴史博物館にもその一部が展示されているとか)
なんだかんだと、登ったり下ったり、ヒイこら言ったり笑ったりしている間にも、
着々と距離を稼ぎ.....
その旅路はいよいよ本格的な山道に入り、
なおかつ、横浜市を出ることを目指すところまでやってまいりました。
なにやら動き出しそうな。
.....さて、我々も次へ急げ~!
このご開帳の間、各お寺が門を開いているのは、
朝9:00から夕方5:00までですから、
会期も残すところあと二日しかなかったこの時点では、
緻密な計画、計算、すみやかな行動こそがもっとも重要となったのです。
....と、一生懸命ペダルを漕いで、ゴンザの「あっ、次のお寺が見えてきた!」
の声に目をこらせば、そこにはこんな『ラーメン・ギョウザ』の幟が....
どうやら彼は遠目でこれを、三十三所の目印となっている幟と見間違えたらしい.....
二人で自転車を止め、しばし大爆笑!(笑)
はたからみたら怪しい男女(爆)
ましてや、その立地を無視して、あくまで順番どおりに周ろうとする我々には、
『順番どおりに周る為に何キロも戻ったり』とか、
『順番どおりに周るために、進路上に先の番号のお寺があっても素通り』
なんてことがあるわけで、そりゃあもう、あ~た。
楽しみながらも色々必死(笑)
ところで....
横浜にはとても竹林が多いの、知ってますか?
すっかりのびのびのタケノコを横目にやってきたのは.....
二十一番【薬王寺】<開創年代不明>
こちらのお寺は幾たびかの焼失、移転により、その縁起が不明なのだとか。
しかし、観音堂には今も、江戸幕府から賜った御朱印箱が残され...
我々もチラリとそれを見ることが出来ました♪
この日の理想としては、
我が家から一番遠い川崎市の二十二番さん、
そこから青葉区にある二十三番さん、
町田市に入って二十四番さんまで行って、翌日に備える、
というのが、進行上一番良いように思えましたので、
それを達成すべく、二人は山道を漕ぎまくりました。
山道を抜け、やってきたのは川崎市王禅寺。
でもその西門の前には、こんなに不法投棄の山が...。
まるで一世帯の生活用具を一式捨てたかのようなこの光景に、
怒りよりは哀しみを感じます。
こういうことするヤツって、どんな育ち方したんだろ?
今はアスファルトで舗装され、車がときに行き過ぎるその道は、
自転車も走りやすくはあるものの、人けもまばらで、
周辺の景色は、往時の巡礼者も見たであろう自然の姿を色濃く残しています。
二十二番【王禅寺】<開創延喜二十一年>(922年)
関東の高野山と呼ばれるこちらは、醍醐天皇より王禅寺の名を賜ったとか。
境内には、『禅寺丸柿』の原木もあり、北原白秋の句碑も。
こちらの山門に続くのは、こんな、木々のざわめきと鳥の声だけが響く道。
なんか、タイムスリップしたみたいだ~。
ただ、違うのは。
その景色の手前に、残土処理施設や廃棄物処理の会社が点在することで、
「人は自分達の目の届かないところへ見たくないものを運ぶのか.....」
そんなことを思いながら、我々は鬱蒼とした木々を眺め、
そのひんやりした山の空気を肌に受けながら、進み続けたのです。
きっと仁王様も苦々しく思ってらっしゃる。
そして、やがて山を抜け、再び平地へ。
そう。
このときまでは我々も、『当初の目標どおり、二十四番さんまで進める!』と、
そう思っていたのです。
こちらの台座には幕末の年号が。
「おおっ、この龍さんは、龍というより、なんだかワニみたいだねぇ」
(↑非常に罰当たりで失礼なerima発言)
と、そんなことを言いながら、王禅寺を後にして.....
しかし....
思いもかけず、二十三番さんで待っていたのは、
先代ご住職と思われるお方の、熱い熱いお話でした。
それは、とてもありがたく、感動的で、面白いお話。
様々なエピソードを交えながらの、
『いにしえよりの日本の文化・技術がいかにすぐれているか』。
実際に貴重な宝物にほんの少し触れさせて下さりながらの、
『日本人はいかに誇りを持つべきか』。
やってきたのは徳恩寺。
「今日はここから二十四番さんまで周れると明日が楽だねぇ」
でも、思わず面白いお話に引き込まれ....
気づけば4時45分!(笑)
ここでじっくりお話を聞かせていただいたために、
この日(5月4日)西方寺から始まった旅路は、
当初の目標だった二十四番まではたどり着けず、
翌日はまた、一番遠いお寺の中のひとつ(二十四番さん)から
そのスタートをきることにはなってしまいましたが.....
二十三番【徳恩寺】<開創建武二年>(1335年)
こちらはかの徳川家光から、寺領七国を賜ったお寺。
また、柳沢吉保の一族より寄進された大般若経六百巻が一巻も欠けずに
保管されていて、我々もちょこっとだけ、触れさせて頂きました。
この六百巻が出来上がるまでのエピソードはとても感動的で、
「それを作るのに四万の木版が必要だった」とか、
「今の印刷技術などは、当時の技術に遠く及ばない」という話、
また、一族使用の駕籠を実際に示して下さり、
今でいうドリンクホルダーや可動式テーブルがあったことなど見せて頂き、
ものすごく面白かったです!
この巡礼路西端のお寺で見たもの、聞かせていただいたお話は、
旅の思い出の中でも、もっとも貴重な、忘れられないもののひとつとなりました。
これぞ旅の醍醐味!
翌日。
5月5日へ続きます。
二十番 【真福寺】 横浜市青葉区荏田町432-8
二十一番 【薬王寺】 横浜市青葉区大場町259
二十二番 【王禅寺】 川崎市麻生区王禅寺940
二十三番 【徳恩寺】 横浜市青葉区恩田町1892