吐玉泉下にデビューした蓮久の若木と花 2024年1月撮影
これは蓮久の思い出1の続きです。
長年偕楽園の梅の木を管理された方が退官された後は、梅の担当者が1~2年で交代しましたが、3人目にこの蓮久の他、偕楽園の梅の品種を整えられた新しい担当者が現れたわけです。
この方は柿などの果木の専門家で、剪定にも接ぎ木にも精通されたスペシャリストでした。でも花梅については初めてのことで、花梅の品種をまず理解されるために、図鑑や偕楽園内の梅の木をよく観察されました。しかし、園内の多くの梅の木の名札が実情に合っていないこと、また苗木畑から本園にデビューした苗木に花が咲くと、名札とは全く違う花のこともしばしばありました。さらに公表されているネット上の梅図鑑にも誤記載が散見されるなど、梅の偕楽園にあるまじきことに気づかれました。
公園事務所は日本梅の会大坪孝之会長ほかの方々に来ていただいて、弘道館と偕楽園の主要な梅の木を見ていただきました。
この時に「蓮久」の名札のついている数本の梅の木がすべて蓮久ではない無いことが分かったのでした。
蓮久の枝の切り口
上掲のように蓮久は紅梅性で、枝の切り口が紅い紅材ですが、確認した蓮久は全てが白材(野梅性)でした。
そこで私は2011年に公園事務所が調査した全梅の木の中から、蓮久の名札のついた梅の木をすべて蓮久かどうかを確認して回りました。
名札は蓮久でも別品種の木
残念なことにすべての枝の皮をむいてみたら、すべて白材でした。
資料によると蓮久の名札は、弘道館8本、偕楽園5本の合計13本で、すべてが蓮久ではありませんでした。
そして資料には、調査時に新規に蓮久のプレートをつけた梅の木が3本あることがわかりました。調査時に品種名について何らかの検討はしたと思うのですが、すべて間違えた新規プレートを付けたということでしょう。
何しろ10本の木に蓮久の名札が付いていて、みな同じ花をつけているわけですから、3本の梅の木に新規プレートを付けるにも、これは蓮久だと自信をもってつけたのではないでしょうか。実はわたしもこの時までこれらの梅の木が蓮久であることを確信していました。
蓮久のほかにも、名札名とは違うとか、似ているが違うようだと名札名が疑われる梅の木がたくさんありました。これら品種名不明の梅の木の品種名を調べるのは玄人でも非常に困難なことです。この事態をいかに立て直すか苦心されていました。
そこで、水戸の梅に深くかかわっておられる、私の梅の師匠など、古くから水戸の梅にかかわりの深い収集家や苗木屋さんなどをご紹介したこともありました。
梅の担当者は品種の特定について、もう一人の樹木医の方とあれこれ努力を積み重ねられました。まずは弘道館と偕楽園の梅林の中で、品種名が確かな梅の木を選び出しました。また私の梅の師匠はじめ市内の梅の収集育種家から、品種名の確かな梅の木の提供をうけました。
あたらしく導入された塒出の鷹
市植物公園の梅林調査
さらに市植物公園の梅林(収集育種家の寄贈)の花の写真を撮影して、確かな品種の枝を譲り受けて、苗木を作りました。
また、都内羽根木公園に珍しい美花の「朱鷺の舞」など、新規の品種の導入などを行いました。
羽根木公園の朱鷺の舞
このような美しい花の梅の木であっても、ウィルスに感染している可能性もあるために、他所からの導入には厳重な注意が必要でありました。そこで、挿し木が成功して、しばらくの間病害虫の感染があるかどうかを、偕楽園から遠く離れた場所に隔離して、安全とわかってから、苗木畑に移植するなどのご苦労もありました。
本園内の苗木畑
こうして、品種名の確かな200品種の苗木が本園内の苗木畑にようやくそろったのでした。
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