偕楽園の吐玉泉下にデビューした蓮久の花 2024年1月撮影
この蓮久には忘れられない思い出があります。そして、この吐玉泉下に植えられた蓮久の若木はその記念樹と言ってもよいのではないかと思っています。
吐玉泉下にデビューした蓮久の若木 2024年1月撮影
私が偕楽園の「蓮久」を最初に認識したのは、偕楽園の梅林でした。偕楽園の梅の種類は100種、3000本と案内されていました。リタイヤしてまもなくのころ、偕楽園と弘道館の梅の木にはそれぞれ名札がつけられていました。
そこで、これら水戸の梅すべての種類の花と名札の品種名を記録しようと思い立って、完成したのが2006年3月末の頃でした。一部は偕楽園には無いが、苗木屋さんの店頭で撮らせていただいたものも含めて、なんと140種類余りになりました。
2006年撮影の「蓮久」
この写真は品種を特定するにはよくない写真ですが、まだ品種の特徴などは全く知らない時ですから、何の疑いもなく、これを蓮久と認識したわけです。
そんな無知なわたしでも、100種類以上の花と品種名を突き合わせると、名札名では八重咲のはずなのに、一重の花が咲いていたり、白花のはずなのに赤花が咲いているなど、素人でも簡単に間違えに気づく名札があることに気づきました。
店主 梅の師匠の出店
そこで、ネットで偕楽園の梅図鑑と突き合せても理解できず、梅まつり期間中に梅の苗木の出店をだしている店主に聞いたりしました。でも、要領を得ない質問は、忙しい店主に迷惑をかけるばかりで、歓迎されませんでした。
それでもつきまとう私に根負けしたかのように、「そんなに梅が好きなら、苗木畑を見せてやる。」とお許しをいただき、店主の苗木畑の全種類の梅の写真を撮らせていただくことができました。
店主の苗木畑の蓮久2006年3月22日撮影 寺門コレクションより
店主の苗木畑は梅の御三家のひとりと言われた、店主のお父様故寺門忠之氏から引き継がれたもので、全品種の撮影に丸2日を要し、なお、品種名の表示は全くないので、順番を間違わないように撮影して、後日品種名を確認させていただきました。こうして名入りの写真集をまとめて、寺門コレクションとして、店主に差し上げました。このころから私はこの店主を師匠とお呼びすることにして、梅のことについて、さらに興味を深めて、師匠には花梅の品種ごとの特徴を尋ねたり、都内のいくつかの梅の公園をたずねたり、さらにネットで全国の梅の品種を調べたり、記念物級の特殊な梅を調べたりしておりました。
一方公園事務所では2010年に弘道館と偕楽園のすべての梅の木と桜や主な樹木の植栽位置、花の写真と名札などの実態調査をおこないました。ところが翌年2011年3月11日午後3時ころ東日本大震災がありました。ちょうどその日は50年以上梅の木などを管理されていた方が3月末で退官されるというので、記念の写真を撮らせていただく約束をしておりました。偕楽園は梅まつり期間中ですから、お客様が少なくなってからということで、午後4時に約束していたので、わたしは田鶴鳴梅林で時間をつぶしていたのでした。
その時に大地震に遭遇してしまい、事態は一変してしまいました。
湿地を埋め立てた梅林のあちこちから水が吹き上がりました。
園路は川のように梅林に噴き出した水が流れました。
梅林の芝生で一緒にいた造園業者の方と仕事どころではないとお別れして、知り合いの土産物店の店主の無事を確認して、急ぎ自転車で帰宅したのでした。
家の築山は無残にも崩れ落ちていました。
後日、退官の記念に梅林の思い出の梅の木などと並んだ記念写真を撮り、記念アルバムを差し上げました。
その後は梅の担当者が1~2年で交代しましたが、3人目にこの蓮久の他、偕楽園の梅の品種を整えられた新しい担当者が現れたわけです。
大地震が多発、ほんとに怖いです。いつ我が身にもです。