マチンガのノート

読書、映画の感想など  

「アウシュヴィッツの〈回教徒〉」 柿本昭人著 その2

2013-05-11 00:57:31 | 日記
西洋、キリスト教などの物の見方として、 「理性の有る者が人間であり、無いものは人間以下である」 という捉え方があるので、強制収容所の<回教徒>の方々のように 誰かが食べ物を落としたら、何も見ずにそれを拾って食べようとする というのは、「理性がない」とのことでで、「人間ではない」 だから「生きる価値がない」との見方になるのではないか。 欧米の霊長類研究者などでも、「猿に意識はあるのか?」 などと言うそうだ。 猿でも犬でも、心があると何となく思う日本人とは 物の捉え方がかなり根本的に違うようだ。 最近、なんでも「カワイイ」と言う人について、 「他に言葉を知らないのか?」と言う人もいるが 猿でも犬でも人間でも「カワイイ」と言うのは 異民族に侵略、支配される事がなかった、恵まれた歴史の 日本だからこそではないのだろうか? また、生理的にカワイイと感じるものを「カワイイ」 と言うのは、言葉の領域での、「新規蒔き直し」 (「治療論から見た退行」マイケル・バリント) が生じているのではないのだろうか? 日本のシベリア抑留者は、全体として死亡率が1割程度だったので 生き残った方々は、「あの時、助けられなくて残念だった」 「自分などが生き残って申し訳ない」など思えるが、 ナチスの強制収容所などのように、死亡率が9割を超えるような 所にいた方々は、その様な事を思えないくらい苦しい状態が 解放後も続いているのではないだろうか?