マチンガのノート

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内面という神話: 話の訊き方からみた軽度発達障害 畑中千紘 その10

2016-05-16 21:31:22 | 日記
「時間と出来事」渡辺由文:でも触れられているように、
個人の内面というのは、近代や産業革命に入ってから、
時間というものが人々の中に普及して、それを超えた
一貫性として想定され、推理小説なども作られるようになったものなので、
身分や時間を超えた内面がもともと在れば、夏目漱石もあのように
維新後になってから、あれこれと書かなかっただろう。
欧州では、カトリックの影響などでそれ以前の迷信や呪術などから、
個人の内面が切り分けられて、それによって、「個人」や「社会」が
できて、近代へ繋がったのだが、(「日本人の歴史意識」阿部謹也)
日本の場合は、技術や社会制度を維新後に欧米からそのまま取り入れたのだが、
欧米的な「個人」や「社会」がないまま、外国語にそれらを当てはめているのだが、
その経緯を知らないと、精神科医などで精神分析などに詳しい人でも、
最近の京大心理臨床が出版しているものを、理解できない人もいるようだ。
「主体」が無いというのを理解しようとすれば、
そもそも主体とは、いかなる歴史的経緯を経てできた概念かを知る必要が
あるのだろう。