一作目の「ランボー」は、設定こそ戦争帰還兵の悲劇となっていますが、主人公のランボーが保安官たちに拘束されて
暴行されたり、ランボーも警官や州兵などに対して自動火器を撃ちまくるなどのシーンがあったので、アクション映画のノリで観ていた人が
多かったのではないでしょうか。
二作目の「ランボー:怒りの脱出」からは、普通に主人公が悪と戦うアクションエンタメ映画になり、三作目も同様でした。
普通の人が望まない、戦争による死や障害、トラウマなどが関わる事を扱うことの難しさが解るところです。
四作目の「ランボー/最後の戦場」では、ミャンマーに赴いた米国人たちが現地の戦闘に巻き込まれるという設定で、
グロい描写がありましたが、あくまで米国から遠く離れた場所という設定でした。
五作目の「ランボー ラスト・ブラッド」になると、主人公の身近な若者がメキシコでカルテルに酷い扱いをされて亡くなり、
さらにカルテルがランボーを殺害しようと米国内にあるランボーの牧場を襲撃し、そこでスプラッタなシーンが展開されていました。
米国人にとっては、これまでいろいろと米国が関わる戦争などがあっても、実際の死や障害、トラウマなどは、
遠くに感じるものだったものが、時代と共に身近に感じるものになってきているのでしょう。
米国での選挙でも、何かと移民に反対する保守派が目立ちますが、やはり現在のメキシコのように治安が崩壊することへの
畏れがあるのでしょう。