発達障害は、親や周りとの愛着の未成立や薄さ、
そしてその親自身も本人の生育歴からくる、子どもと愛着を形成する能力の
未発達や不全も大きく関与している。
発達障害を単なる治療対象と見ると、親の不適切な養育や責任が不問とされ、
また、周囲が子供の養育をサポートしなかったことの責任も不問とされる。
SSTなどで本人ができることを増やしてくというのは、そのような
親や周囲の責任を見ないやり方ではないのではないのか。
親や周りの責任を不問として関わるというのは、発達障害の人に対する
自己責任の押し付け、加害行為ということになるのではないだろうか?
あくまでも治療対象として、本人が出来ることを増やそうとするのは
それに加担しているのではないのだろうか?
「冷蔵庫マザー説」が言われていた頃は、親自身も不適切な養育をされた
事を見逃していたために、親のみが責任を押し付けられ、親の生育歴や、
周囲の関わりが見過ごされて居たために、親が不当な扱いを受けたことで、
その反動から、本人の先天的素因によるものという点が強調された
成因論が主流となっているが、どちらも片方に責任を押し付けていて
周囲が免責されている。
本人と親に原因を考える枠組みから、出るべきではないのだろうか?
そしてその親自身も本人の生育歴からくる、子どもと愛着を形成する能力の
未発達や不全も大きく関与している。
発達障害を単なる治療対象と見ると、親の不適切な養育や責任が不問とされ、
また、周囲が子供の養育をサポートしなかったことの責任も不問とされる。
SSTなどで本人ができることを増やしてくというのは、そのような
親や周囲の責任を見ないやり方ではないのではないのか。
親や周りの責任を不問として関わるというのは、発達障害の人に対する
自己責任の押し付け、加害行為ということになるのではないだろうか?
あくまでも治療対象として、本人が出来ることを増やそうとするのは
それに加担しているのではないのだろうか?
「冷蔵庫マザー説」が言われていた頃は、親自身も不適切な養育をされた
事を見逃していたために、親のみが責任を押し付けられ、親の生育歴や、
周囲の関わりが見過ごされて居たために、親が不当な扱いを受けたことで、
その反動から、本人の先天的素因によるものという点が強調された
成因論が主流となっているが、どちらも片方に責任を押し付けていて
周囲が免責されている。
本人と親に原因を考える枠組みから、出るべきではないのだろうか?