マチンガのノート

読書、映画の感想など  

岡野憲一郎氏のブログなどで感じたこと

2015-12-18 00:03:14 | 日記
岡野憲一郎氏のブログ、著作などを読んでいると、
発達障害の人の相手の表情、感情を読み取る能力の欠如などは
素因に基づく所が多いように捉えているようである。
岡野氏は、荒んだ家庭のネグレクト、虐待、様々な欠乏、欠如について
ほとんど知らないのではないだろうか?
「愛を知らなかった子」(ダイアン&バーニー・リーロウ著:講談社)で描写されている
ような、基本的な世話やまともな食事等が無いような家庭では、
相手の表情を読み取るような関係、感覚を育てる基盤が
がそもそも無く、その為、自己をコントロールするだけの主体が生成されず、
周囲の雰囲気や感情を読み取るところまで感覚も育たないため、
表情が乏しく、生気もない状態で、ただ何か言われたことを
自分の好みや考えも持てずに単にこなすだけの状態で、周りに合わせる、
協調して行う事ができず、孤立して行き、更に周りとの関係を
持てなくなって行くのではないのだろうか?
岡野氏は「恥と「自己愛トラウマ」」という本を出しているが、
そもそも生まれた直後からまともな養育を受けずにいると、
自己愛自体が形成されないだろう。
岡野氏はブログで、発達障害の人は集団の中で生き残るため必要な序列の感覚が無く、
等書いておられたが、そもそも家庭などで世話をされたり、養育された経験がないと、
守ってもらえる、助けてもらえるという発想も持てず、序列というものを
理解し得ないだろう。
臨床家にとっては、病院や心理センターよりも、養護施設や
児童相談所などのほうが、クライアントについて深く知る機会が
多いのではないのだろうか?
精神科医の小倉清氏は、刑務所などで犯罪を犯して収監されている方と話して、
「赤ちゃんの頃から、親を殺そうと思っていた」と話される人もいた、
とのことで(「飢餓陣営」42号、「面接で語られる乳幼児体験」)
乳幼児からの積み重ねから、様々な事に繋がって行く、とのことを
書いておられる。
素因を仮定する前に、その様な生育歴から見ていく事が必要では
ないのだろうか?