スペインといえば、闘牛、生ハム、フラメンコ
全部一気にやってきました! これぞバスツアーの威力! わずか5日間の間に、全て詰め込んで、取りこぼしなし。
ところで、スペイン人は夜10時頃から夕食を食べるって知っていましたか?これ、ホントの話みたいですよ。私の上司のスイス人も、「やつらは10時から食事を始めて、寝るのは2時。付き合いきれない」って言っていました。
しかもスペイン人は1日5回食事をするようです。朝、昼、おやつ、夕食前の腹ごなし、そして夕食。多分こんな感じ。仕事は食事の合間にするっていう感じらしいです。食べて、遊んで、たまに仕事。
日本人の仕事や休暇に対する価値観とは対極にあるように思うのですが、スペインは日本に次いで、世界で2番目の長寿国だそうです。
朝から晩まで働き、健康と食べ物に気を配って長生きする日本人と、遊んで、遊んで、夜更かしして、少し働いて、長生きするスペイン人。
過程は違うのに、結果は同じって、どういうことなんでしょうか?
損得の問題じゃないとは思うけど、な~んだか割が合わないと感じるのは私だけ?
死ぬまでに、絶対行きたいと思っているところはたくさんあるのだが、アルハンブラ宮殿はその一つ。イスラム芸術の建物から漂ってくる、エキゾチックな雰囲気は、建物を見ているだけで、当時ここに住んでいたであろう人たちが織り成す物語を想像させてくれる。
そんな憧れのアルハンブラ宮殿に、2010年5月6日に、とうとう足を踏み入れることが出来ました!
初めて見るイスラム文化の建造物、写真で何度も見たあの風景はいずこに……、と思ってバスを降りると、そこは大型観光バスがずらりと立ち並ぶ駐車場で、入口前はとにかく人、人、人。西洋人、東洋人、老若男女問わず、観光客で溢れかえっていました。ひえ~~~。
観光客が多いのは、勝手に日本だけだと思っていた私は、井の中の蛙でしたね。世界遺産と名のつく観光地には、世界中から観光客が集まってくるのは、至極当然のことなのですが、日本よりも観光客の多いところがあるなんて…。
私たちのアルハンブラ観光は、流暢な(?)日本語を操る、現地ガイドのフランクさんと共にスタートしたのですが、このガイドさん、「この並木道は、日本の日光に似ていると言われます。日光 結構 ですね」 といきなり耳を疑うようなオヤジギャグを連発するおっさんで、スペイン人版デーブ・スペクターのせいで、私のアルハンブラの想い出は、日光東照宮とかぶってしまった。この罪は大きいぞ、どうしてくれるんだ、デーブ
気を取り直して、宮殿内の紹介です。
ヘネラリーフェ と呼ばれる庭園です。グラナダの王が宮廷の雑務から逃れて、憩いの時を過ごす別邸だったようです。
庭園側から見る、アルハンブラ宮殿
プロのジャズ歌手 キアラ さんが「ベッサメムチョー」を披露してくれた、円形ホール。キアラさんの歌声は素晴らしかった!
メスアールの祈祷室からアルバイシンの町並みを臨む景色。
コマレス宮ファザード
ムハンマド5世による1369年のアルへシーラス征服を記念するために造られたそうだ。
ライオンの中庭にある星型の天井ドーム。細かすぎて一体どうやってこんなものを造ったのか想像できない。 きれい、でもちょっと怖い。
後で聞いて知ったのだが、日が暮れてから、アルバイシンの丘の上から見る、ライトアップされたアルハンブラ宮殿がとても美しいらしい。
もう1回行かなきゃね。
「アルハンブラの想い出」というクラッシックギター曲にまつわる私の思い出。
それは私が高校1年生の時のこと、ある日ある時母親が、突然私に言ったのであった。
母 「ねぇ、ギター習ったらどう?」
私 「はぁ、何で?」
母 「ギターはいいわよ。ギター1本あれば、どこでも音楽を奏でることができるし、家の中でも外でも引けるし、ギターが弾けると、きっと楽しいわよ」
私 「突然、何でそういう話になるの?」
母 「いいじゃない、ねえ、やりなさいよ」
私 「やだよ、別に習ってまで弾きたいと思わないし」
母 「なんでよ(怒)、つべこべ言わずにやりなさいよ」
なんで突然こんな話になったのか、後にも先にも全く思い当たらないのだが、なぜだか数日後には、安っぽい初心者向けのギターが我が家の居間に突然現れ、その数日後には、私はギターケースを抱えて、暗い夜道を歩き、「ギター教室」なるところへ通い始めたのであった。
今思い出しても、あの3ヶ月は何だったのか?
母親の突然の思いつきは、3ヶ月後には、すっかり情熱を失い、私も想像以上にクラッシックギターが難しい現実を知り、急速に興味が薄れていき、いつの間にかギターは押入れの隅に追いやられてしまい、あっけなくジエンド。
その時の練習曲が、「アルハンブラの想い出」だったのです。この曲を聴くと、ギター教室の少しかび臭い部屋の匂いと、畳の間に椅子が置かれただけの殺風景な6畳間を思い出すのです。
以上、アルハンブラ宮殿とは何の関係もない、私のアルハンブラの想い出でした。
次回は本物のアルハンブラ宮殿をご紹介します。
バルセロナにある世界遺産といえば、サグラダファミリア。バルセロナ経済の全てを委ねているのではなかろうかと思えるほどの重要な観光資源で、なぜこんなに有名になったかというと、その奇想天外なデザインと、今でも建設中であるというその事実です。
ガイドさんによると、今の建設技術があれば、後10年ぐらいで完成するらしいのですが、それをあえてゆっくりゆっくりやっているらしいのです。なぜかと言うと、完成してしまうと、魅力が薄れて、観光収入が減るのではないかという試算があるらしいとのこと。
なるほどね、世の中には、「建設中だから」という付加価値がつく建造物もあるのですね。ガウディがそこまで読んでいたとしたら、すごい!
事実、工事現場入口の鉄ゲートから中をのぞいてみるとこんな感じ。 こんな写真もアートに思えてしまうから不思議。
サグラダファミリアと言えば、不思議な形をした高塔のイメージが強かったのですが、この建物、実はその扉口にほどこされた彫刻がすごいということを初めて知りました。
サグラダファミリアは聖家族という意味ですが、その扉口に描かれているのが、その聖家族そのものでした。マリアの夫(聖ホセ)ヨセフと、聖母マリア、そしてイエス。その家族の平穏やイエス生誕の喜びが扉口一面に、信じられないぐらい細かい彫刻で覆われおり、キリスト生誕からの聖書の逸話に基づいて、全ての彫刻が意味を持っていました。これは現場を見なければ知りえなかったことです。サグラダファミリア(聖家族)ってそういうことだったんですね。
そこで私が撮ってきた写真の数々。デジカメの望遠レンズの実力はすごい。肉眼では気付かなかった、細かい彫刻までカメラには収められていました。
まずは、「御生誕の正面」と言われる東側の扉に描かれた彫刻です。キリスト教徒の方であれば、「あー、あれはあの場面」とすぐにイメージできるのでしょうね。
そして興味深かったのは、西側の「受難の門」(最後の晩餐、磔の刑、昇天)で描かれている彫刻の違いです。こちらの門は、ガウディ亡き後の現代の彫刻家、スビジャック氏によるものらしく、現代の宗教観に基づかれているようです。
これを見て、ガウディのこの作品は、ガウディ一人が作ったものではなく、いろいろな建築家や彫刻家の共作になっていることを実感しました。 進化し続けるこの建造物は100年後にはどんな姿になっているのでしょうか?
ところで、このサグラダファミリアがこんなにも有名になったのは、日本人の力によるところが大きかったって知っていましたか?ガウディが市電に轢かれて死んでしまった後、工事が中断し、ほっておかれたのを、日本人の外尾悦郎氏が中心になって、工事を再開したことが寄与しているようです。日本人、大活躍です!
世界遺産めぐりはまだ続きます。
スペイン旅行中、ずっと同室だった私の愛すべきナオコママの写真!本人の許可を得ているので大公開!
これはお茶会を無事に終えた後の打ち上げの、最後のディナーの写真で、宴もたけなわ、そろそろデザートの時間と思っていたら、旅行会社の粋なはからいで、ナオコママにお誕生日ケーキがプレゼントされました。
「きゃぁーーーーー、ええーーーー、あたし?」と、目を三角にしながら、すっとんきょうな声が響き渡ったかと思ったら、「本当にうれしい!○○年生きていて、こんなの初めて!!!」、と突然の実年齢告白の大サービスまでついていました。全くサービス精神旺盛なんだから。。。
ナオコさんの行くところには、なぜか人が集まってきて、いろんな食べ物が集まってきたり、お酒が集まってきたり、そして最後は誕生日ケーキまで出てきちゃって、ナオコマジック炸裂。いやはや参りました。
結局主役の座は、ナオコサンでした。
お誕生日おめでとう!
さて、旅行記は最初に戻って、バルセロナ編に向かいます
午後のお茶会は、場所を移動して、ESPACIO RONDA というところで開催された。ここは午前の会場とは違い、セミナーハウスのようなところで、私たちのお茶会は2階の大きなセミナールームで行われた。
午前の会場と比べると、お茶席と観客席が近い!手元の動作も全て見れるし、何といっても一体感のある会場の雰囲気がいいと思った。どこでやるかという場所選びは重要ですね。
午前中は11時半スタートだったのだが、金曜日の夜は夜遊びをすることになっているスペイン人は、土曜日の早起きが苦手らしく、午前はバラバラと人が集まる状態だったのに比べ、午後は5時半の会場時間の30分前には長い行列が出来ていた。
開場が始まると、受付係の私と真由美さんは、教えてもらったスペイン語の「フリーギフト」という言葉と、「お茶と一緒に食べるお菓子と、手拭い(タオル)です」という言葉を、カタカナでメモに書いて、オウム返しのように、繰り返しながら、お菓子と手拭いをお客さんに手渡しした。お客さんはみんな、とっても嬉しそう。
スペインでは「無料」でもらえるものはほとんどないので、「フリーギフト」と言わないと、みんな安心しないらしいのです。日本から持ってきた干菓子も、お菓子と思わずに、食べないお客さんが多かったらしいので、「お菓子ですよ~、食べてくださ~い」と一生懸命アピールしてみた。
さて、午後のメインイベントは、嶋村チームのリーダー、美知子さんのお手前です。根津のお教室で一緒にお稽古に励み、同じ釜の飯ならぬ、お稽古後のビールと焼酎のお湯割りで稽古後の疲れを癒していたのはわずか1年前。それから美知子さんは、速川先生という新しい師匠を得て、出世魚のように階段を登り、とうとうスペインのマドリッドで亭主をするまでになったのです。これには ”あっぱれ”
久しぶりに美知子さんのお手前を見ましたが、これだけの観客の前でも動ぜず、堂々とした流れるようなお手前で、感動しました。
お茶のお稽古で、ゴルフでもなったことのない、腱鞘炎になったらしいです。それだけ練習を重ねた成果は、バッチリ出ていましたよ。
頑張って成長している人の姿を見ると、勇気付けられます。
2010年5月8日(土) 快晴
ツアー最終日にもかかわらず、参加者21名は疲れも見せず、テンション最高潮で朝を迎えました。
ホテル発は9時だから、朝食を食べてからゆっくり着物を着ようと思っていた私は、朝7時にほぼ全員が着物を着て朝食会場にいるのを見て、急にあせってきた。これは悠長に朝食なんか食べている場合じゃない。急いで部屋に戻り、着物と格闘して、何とか無事着ることが出来た。ふぅー
何だ、まだ全然時間あるじゃん!ということで、ホテルを出たところの大きな駅の前で、記念撮影!冒頭の一枚、朝の記念撮影。
そして一同は、午前中の会場である、TEATRO DE MADRID に向かいました。
会場に着いたものの、中には入れず。責任者がまだ来ていないので、外で待つようにと言われ、落書きだらけの公園で、写真撮影タイム。
ガイドの明田さんが、「みなさん、おはようございます」の次に言った言葉が、「スペインでは何が起きてもおかしくないです。あわてない、あせらない、あてにしない、さぁ、今日は何が起こるでしょうか?」という言葉通りの幕開けだったが、あせっても入れないものはしょうがない。
しかしもっとあせったのは、会場に入ってから。舞台の上には何もセッティングされていなくて、その上指示をしてくれる人も誰もいない。何をしていいのか、要領が掴めず、みんなあっちに行ったり、こっちに行ったり。そうこうしているうちに、時間だけはどんどん過ぎていき、お客さんの姿がちらほら見え始めても、まだ会場設営は半分ぐらい。
後で聞いてビックリしたのだが、手配したはずの畳が届いていなくて、大使館に置き去りになっていた畳を、大至急運んで、ギリギリ間に合わせるという、離れ業を楽屋裏ではやっていたそうだ。さすがはスペイン。何が起きてもおかしくない!
予定より少し遅れての開演。お客さんも予定通り150人ぐらい入り、満を持して緞帳が上がったら、そこは数分前のドタバタ劇が、うそのように、整然と静まり返り、美しい畳と金屏風の空間が広がっていた。
まず最初は、長島 博氏の「包丁式」。日本人である私も、初めて包丁式なるものを見させていただいた。そ の起源は平安時代に遡るようだ。
包丁と箸みたいなものだけで、鯛には一切触らずに、3枚におろし、それをさらに細かく切り、最後にそれを持ち上げると、身が全部繋がって、輪のようになってふわりと空中に持ち上げられた。「えっ、どうして?」、と私が感じた同じ驚きとを、スペイン人もきっと感じたはず。
長島さん、素敵でした!衣装もバッチリ決まっていましたよ。
さて次は、このツアーの綺麗どころ、振袖姿の、花子さんの亭主と、和田さんの伴東によるお手前です。社中の皆さんは、この日のために練習を重ねてきたようで、その成果はバッチリ。舞台の上から、厳かな緊張感が伝わってきました。
ところでこのお手前は、且座と呼ばれるもので、たっぷり1時間以上あったのです。お手前の動きに合わせて、速川先生と通訳の説明が入り、粛々とお手前が進むのですが、私の関心事は、「一体スペイン人はどう思って見ているんだろう?」ということ。日本人の私ですら、「こっくり」と意識を失ってしまうほどの静寂の中で、「退屈しないんだろうか」、と思って回りを見回してみたのですが、みんな真剣に見入っていました。
スペイン人はこの舞台を見て何を感じたのでしょうか?
日本でお茶のお稽古をしている時は、その空間を特別不思議なものとは思わないのですが、スペインの舞台でスペイン人に混じって見ていると、改めて茶道のエキゾチック感というものを、ひしひしと感じました。この全く異質な文化に、スペイン人は惹かれるのかもしれませんね。
日本の文化って、いいものだなぁと、少し誇らしく感じました。
さて次回は、午後のお茶会のご紹介です。
(スペイン広場にて)
徐々に私の生活の中に、「和」が入ってきたのは、お茶のお稽古を再会し始めた3年前から。
米系の金融会社で7年間修行をし、日本人の奥ゆかしさなんていうものは、激しい競争に打ち勝つためには、百害あって一利なし。「言った者勝ち」「だめもとで言ってみる」という、とにかく「主張する」という傍若無人とも思えるカルチャーの中で、米系のやり方を身につけようと必死にもがいていたら、自分が何者かだんだんわからなくなってきてしまっていた。日本人としての価値観も否定しなければ生き残れないような環境から抜け、スイス系の会社に転職し、縁があってひろみさんに出会い、お茶のお稽古を再会したことから、日本文化に触れる機会が増えてきた。
今やお茶や着物は、私が日本人であることを再認識させてくれる大切なツールであり、外資系というボーダレスな環境で働く私にとっては、欧米の価値観と日本の価値観を繋ぐ、バランスボールのような役割を担っているような気がしている。
そして今回、縁あって、速川祐永 先生が主催する スペインマドリッドでの茶文化国際交流会に参加することになったのです。
茶文化国際交流という、強い使命感を感じてというより、美知子さんに、「国営放送が入るから、スペインの大富豪に見初められるチャンス大」とそそのかされて参加するという、不純な動機だったのですが、それでも気分は民間親善大使。
茶の湯を語るには、修行がまだまだ足りませんが、丁稚として日本の「和」の美しさと心をスペイン人にアピールしてきました。
それではお茶会の始まり始まり(続く)