東京には江戸の風景が残るところはほとんどありませんが、東京から約1時間ぐらい電車にのって川越市までくると、そこには江戸時代の風景が残っていました。
まずは喜多院。その歴史は古く、平安時代までさかのぼるようです。ここには春日局化粧の間が移設されていて、歴史的にも重要な場所となっています。
ここで紹介、今回一緒に散策したメンバーです。ハイキング部とお城部の合同イベントです。山歩きがしたい人と歴史が好きな人が集まり、行き先が川越になりました。
そして、ハイキング部が登った唯一の山(?)はこれです。
正確には山ではなく、川越城の富士見櫓の跡地です。川越城には天守閣はなかったので、この富士見櫓が一番高いところにあったらしく、ここで敵が襲ってくるのを見張っていたようです。
登ったら何かが見えるか?と思ったのですが、登っても見晴らしがいいわけでもなく、何かが遠くに見える訳でもありません。よって残念なことに観光ルートからは外れてしまっていますが、お城部の歴史好きにとっては、ここは絶対に外せない場所のようです。
「ここにね、櫓があったんだよ。こんなのが残っているってすごいでしょ」
と熱く語られたのですが、ハイキング部のメンバーは、
「う〜ん、確かに、ジブリの森みたいだ。トトロが出てきそうだ」
と全然噛み合ない会話になっていました(笑)
さてこちらは唯一江戸時代のままの姿で現存している武家屋敷です。
残念ながら相当老朽化していて、保存には苦労しているようでした。当時の世相を反映しているのは、切腹の間があること。武家屋敷は川越城主が家臣に割り当てた屋敷ですが、ご親切にわざわざ切腹の間を作ってくれるとは、ありがたや、ありがたや、だったのでしょうか?
実際にここで切腹したかどうかは不明ですが、不動産価値的には、事故物件ですよねー。
さて、これは何かというと、「とうりゃんせ」の歌の題材になった場所です。
私の世代は必ず歌っているので、完璧に歌詞まで覚えていますが、その道が埼玉の川越にあったとは、今の今まで知りませんでした。
しかもこの歌は、よくよく歌詞の意味を考えてみると、相当怖い歌です。
この道のすぐ奥には本丸御殿があり、この道は川越城に入る入り口のひとつに繋がっていて、一番検問が厳しかったであろう場所です。よって一般人は入れないのですが、もし入ってしまったら、生きて帰れる保証はないよ…、ということを暗にこの歌は示唆しています。
「とうりゃんせ」とは通ってはいけないという意味だったんですね。
「♫行きはよいよい帰りは怖い、怖いながらもとうりゃんせ、とうりゃんせ♫」怖いですねー。
そして無事に通ることができると、本丸御殿に到達します。
さっきの武家屋敷とは比較にならないぐらい立派です。城主の権力、此れ如何に!
ふすま絵は、不思議なことに写真を撮ると肉眼で見た時よりも色鮮やかになります。
そして川越で最も有名なのが火の見やぐらです。
テレビや雑誌で何度も見ましたが、本物を近くで見ると、修復が繰り返されているので意外と新しいし、しっかりしています。時間になると、鐘が自動的にボーンボーンと鳴りますが、昔の人はこんな優しい音で火事に気づいたんだろうか?
と、いろいろと江戸時代にタイムスリップできる場所でしたよ。