まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

1月は。。。

2017-01-24 09:14:52 | くらし

1月、ここ10年は佐渡に帰っていた。
そうだわ、今年は冬の佐渡に帰っていないんだ、と気がつく。

母が倒れて入院しその後施設に入所して。90歳を超える父をひとりにしてはおけない、父との二人暮らし。
月の内3週間は佐渡での生活が父が亡くなるまで5年間続いた。お正月も佐渡で迎えていた。

父が亡くなっても施設でお世話になっている母の所に毎月会いに行く生活がほぼ2年間。
去年はその母の3回忌に一昨年は1周忌に、厳寒の佐渡に帰って法事を執り行った。
一昨々年の1月は。

正月は息子夫婦、ようやく産休に入って出産を控えていた娘夫婦と過ごし、楽しみな1年になると思っていた。
ところが3が日が開けた途端、母の施設から入院したとの呼び出しが。
いつものように2週間も入院すれば退院できるだろうと駆けつけたが、
医師が見せてくれた診断書には入院期間が書いてない。ということは、と血の気が引いた。
いやいや母には怒られるが母の死と娘の出産が重なったらどうしようかという恐れよ。

それからというもの、日々が切羽詰まって常に緊迫状態。
娘の予定日は2月の上旬。
出産準備の手伝いをし出産には立ち会ってあげたい、でも母の状態では1日でも帰ることができない。
覚悟が決まらないから、思いは常にあちらに揺れこちらに揺れ。
しまいにはどちらを優先したらよいかなんて血迷ったことまで考えてしまった。
そんな1月の中旬。

ある日病室に行くと、7年間もつないでいた母の導尿の管が外され経管栄養の管が外され、さっぱりとした身体になっていた。
そういうことなのかと、横浜で留守番していた夫に連絡して来てもらった。
あれは27,8日頃だったと思う、母の妹が見舞いに来たときのこと。
それまでぼんやりとしか目を開けたことのなかった母が、両目をしっかり開けて天井を見ている。
見ているだけじゃなくて、顔まで右に左に動かして何かを探しているかのように目で追っている。
私は今まで味わったことがないような何とも言えない不思議な気分に襲われた。叔母が、
「母さんが両目開けてるのんは初めて見たわ、あっちへ逝ったもんを探しているんだわさ」
と言った。そんな状態が続いた1月の終わり。

2月1日、私には「今日あたり」という予感がして、看護師さんに病室に泊まることを伝え布団を用意してもらった。
ベッドの横に布団を敷いて寝ていると母が大きないびきをかきだした。ほんとに大きないびきだった。
それがいつまでも続く。布団の中でそれを聞いていると、私は母と居て今までに味わったことのない安らぎを覚えた。
二人して旅行に出ているような旅館に泊まっているようなそんな感覚に襲われた。いい夜だなあとさえ思った。

その大きないびきも12時近くになると止んできたので、実家にいる夫に電話して病室に来てもらい3人して
最後を過ごした。2月2日3時半、医師が臨終を告げた。2月3日火葬をし、夜、通夜振舞いの最中の6時半頃。
お婿さんから「女の子が生まれた」と写真付きのメールが入ったときの安堵と感激は忘れられない。
通夜に集まって下さった皆さんに報告して、一緒に喜んでいただいたことも忘れられない。

  昨夕

母の命を受け継いだかのように生まれてきたのがチュッパ。
わが家では2月2日の命日と2月3日の誕生日がセットになっているのよ。
それにしてもつらい1月だったな、と。忘れられない2014年の1月。

 

 

 

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