徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

天才少女詩人の没後80年

2013-03-20 19:20:56 | 文芸
 毎年恒例の「海達公子まつり」が荒尾市で始まった。昭和8年に16歳の若さで夭折して今年で80年。今年は、海達公子の発掘者、規工川祐輔先生の体調がすぐれず、式典に先生の代理で出席した。今年も小中学生の自由詩、俳句、書道、絵画などの部門別表彰が行われたが、応募数は年々増え、今年は600点に達したという。4年後に迎える生誕100年を機に、海達公子を全国に知らしめる活動を進めたいという海達公子顕彰会の松山会長の力強い挨拶が印象的だった。

 昭和5年5月、公子は日頃「赤い鳥」の選評などを通じて指導を受けていた北原白秋と2年ぶりに再会する。その日のことを彼女は日記に次のように記している。

「今日は三時間して早引をし、矢部に行つて白秋会に行きました。柳川高等小学校で自由詩についてわかりよく話されました。顔を見てゐると、どことなくぽかんとしたようで、子供らしい所があります。それが一時間以上かかつて山田屋で、えん会がありました。そこを出て、又違ふ所に白秋先生達がいきなすつたので、あとをついて行きました。先生は、私に「大きくなつたね、私の女でしですよ」と言つたりなんかして、手のすぢを見て下さいました。出世線があつて、じゆんけつだそうです。自分で私に自分の写真を下さいました。(後略)」

 なお、この2年前に初めて会った時、白秋は熊本放送局(現NHK熊本放送局)の開局記念放送に出演した際、わざわざ公子を連れて行っている。


高瀬高女入学を記念し、級友たちと恩師の戸上訓導を囲んで(後列真ん中が公子、昭和4年)