徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

花のお江戸から熊本に伝わった文化

2013-03-21 17:35:18 | 音楽芸能
 江戸時代の中頃には「花のお江戸」が大衆文化の発信地となった。田舎の熊本にもファッション、書物、絵本、食、芸能等々の江戸の文化が伝えられた。もちろん今日のようなメディアやコミュニケーションツールはないから、専ら熊本と江戸間を往来する人々によって伝えられたので時間はかかったのだが。そのあたりの事情について、昭和56年発行の「肥後史話」(卯野木卯一良著)には次のように書かれている。

 お江戸上りの侍や足軽達は参勤交替の長い旅から熊本へ帰ると、いつも得意で、江戸の流行歌を家中の朋輩などの間で歌って聞かせたものである。すると熊本にはまた熊本の芸術家が居って、早速、その悠暢なリズムに一味のユーモアを加えて、更に第二の歌謡を作り出す。面白い/\、肥後独特の郷土味があって素敵だ、などと宴会ごときの場合には、すぐ首打ち振りながら歌い出す者が出るという始末、こうして文化の中心江戸の歌謡は、それら参勤交替の御供の人々の間から、数年越しに田舎の熊本あたりまでも輸入されたものであった。博多や長崎などの様に、海運交通の便利にも余沢にも恵まれていない純然たる封建城下町の熊本市は、一、二特別の場合を除くの外、あらゆる中央の文化的要素を、この参勤交替の御供の人々の土産物として貰い且つ喜んだものであった。

 そんな江戸の文化を研究している「江戸東京下町文化研究会」というサイトがある。僕は以前から興味があってこのサイトをちょくちょく訪れている。熊本に伝わった江戸文化の一例として「品川甚句」の映像を紹介したところ、このサイト上でご紹介していただくことになった。

 ▼「江戸東京下町文化研究会」のサイト