徒然なか話

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伊予万歳 と 万歳の歴史

2013-09-10 12:06:29 | 音楽芸能
 「万歳(まんざい)」というのは新年の寿ぎ(ことほぎ)の芸として平安時代には既に成立していたと言われる日本の伝統芸能である。祝言を述べ舞を舞ったが、家々を訪れる「門付芸(かどづけげい)」として発展、江戸時代には最も盛んに行われた。今日の「漫才」の源流でもある。
 「伊予万歳」は江戸時代前期、四国松山藩主となった松平定行(徳川家康の甥)が「尾張万歳」を招いたのがきっかけで松山藩の芸能として定着したといわれる。僕も含め多くの人が「三河万歳」なら見たことは無くても名前は知っていると思うが、これは江戸時代、徳川幕府が徳川家の出身地である三河国の芸能「三河万歳」を手厚く保護した名残りである。信長・秀吉ゆかりの「尾張万歳」と家康ゆかりの「三河万歳」は互いに張り合っていたらしいが、いずれも京の都から伝わって来たもので、さらに全国に広まっていったといわれる。
 この映像は、「伊予万歳」で唄われる楽曲のうち、江戸時代後期に生まれたという「松山名所づくし」に、中村花誠さんが新しい解釈で振り付けたもの。江戸時代の門付芸にはこんな感じの芸もあったのかもしれない。


 振付 中村花誠
 立方 今村明音・後藤未和・小堀ゆりあ