徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

慶長9年のくまもと

2014-05-19 19:38:15 | 熊本
 下の絵図は、慶長9年(1604)に将軍徳川家康が各国大名に命じて作らせた「慶長国絵図」と呼ばれるものだ。肥後藩のうち熊本城を中心とした一部分であるが、主な街道や川筋、そして村名や村高が書き込まれ、「肥後五十四万石」が確定する基礎資料にもなったという。今日的感覚から見れば非常にラフな絵図だが、それでもいろんなことがわかる。
 まず最初に気がついたのは白川がまだ直線化されていないこと。熊本城の下で坪井川と合流している。次に熊本城のそばに書き込まれた藤崎八旛宮。当時から特別な位置付けにあったことがわかる。また京町や宮内町にも石高が書き込まれており、当時は屋敷町の周辺にも田畑が多かったことをうかがわせる。その京町の周辺にも打越、津浦、岩立、井芹、牧崎、島崎などのなじみ深い文字が見え、当時の風景を思わず想像してしまう。時空を超えたロマンだ。

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