徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

リハーサルのはなし。

2015-06-11 14:18:49 | 音楽芸能
 僕は1976年の5月に熊本から防府へ転勤となった。当時、防府工場はまだ建設中で、工場立ち上げ要員と、先行して建設された材料工程の要員合わせて50名にも満たなかったと記憶している。それでも市民に早くなじんでもらうためには地域の行事には積極的に参加しようというのが工場長の方針だった。防府市では毎年8月に「防府おどり総おどり大会」という大きなイベントが行なわれる。この「総おどり」に参加することになり、僕が推進事務局を仰せつかった。そして「総おどり」の前夜祭として防府市公会堂で行われる「職場対抗のど自慢大会」にも出場しようということになった。各企業から3名づつが歌って総合点で優劣を競うわけだが、何せまだ少人数の職場。なんとか無理をお願いして二人は選んだのだが、みんな尻込みしてあと一人がどうしても見つからない。今さら出場をキャンセルするわけにもいかず、僕自身が出場せざるを得ない羽目となった。それでも前日のリハーサルまでは、どうせ素人の大会と高をくくっていた。ところがいざ会場の防府市公会堂の舞台に上がると、収容人員1800名のホールが当日は満員になりますよという司会者の説明にブルった。しかもである。いざリハーサルが始まるとほかの会社の出場者の歌の上手さにビックリ。まるでプロの歌手なみだ。ますます自信喪失。案の定、翌日の本番ではホールを埋めた大観衆の前で緊張しまくって散々な出来だった。
 しかし、この経験が翌年活きた。翌年春、第1期工事が終わり、対外的なお披露目となる開所式を行なうことになった。防府市民に親しみをもっていただくため、ブリヂストン吹奏楽団久留米を呼んで吹奏楽コンサートをやることになった。会場は同じ防府市公会堂。事前準備でいろいろ大変なこともあったが、それはさておき、演奏会当日は僕が進行係となり、司会をお願いしたテレビ山口の女子アナとのコンビでプログラムを進行して行ったのだが、前年の苦い経験もあってキューのタイミングや出演者への指示や気配りなど、ほぼうまく行った。舞台の袖から覗き見た満員のホールの光景は今でも忘れられない。

▼ザ・わらべのリハーサル風景