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水前寺の謎!?

2015-06-22 21:58:01 | 熊本
 熊本城と並び、熊本市の代表的な観光スポットの一つ「水前寺成趣園」。ところが、水前寺といいながらも、園内にお寺はない。このことについて、昭和10年に開催された「新興熊本大博覧会」の公式ガイドブック「くまもと」には次のような説明が記されている。

 寛永9年、細川忠利公が豊前小倉から肥後に入国された時、耶馬溪羅漢寺の僧玄宅は、公に従って肥後に来たり託摩原に水前寺という一寺を建て、ここに住んだ。その後、成趣園という御茶屋が設けられた。
 然るに、成趣園と水前寺が、混同されるので、水前寺を玄宅寺と呼ぶことにしたが、成趣園は今日に至るまで依然として水前寺と称している。

 実は、水前寺という名前は既に平安時代からあった。奈良時代、肥後の名国司と謳われた初代国司・道君首名(みちのきみのおびとな)が亡くなった後、肥後の人々はその遺徳を偲んで、道君首名の住居の跡にお寺を建て、水前寺と名付けた。しかし、この寺は平安時代末期に焼失し、今では玄宅寺の南側に礎石を残すのみである。