徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

二本木遊郭のはなし。

2016-04-03 19:14:17 | 歴史
 母に手を引かれて、二本木で遊郭を経営していた伯母を訪ねたのはいくつの時だったろうか。座敷に座らせられた微かな記憶しか残っていない。今では、二本木は黒亭ラーメンの本店に行ったり、川尻方面からの抜け道に使ったりして、わりとよく行くのだが、幼い頃に訪ねたその妓楼がどこら辺にあったのか全く覚えていない。
 今日、当時の事情をよく知る知人と数年ぶりに話した。話のついでに聞いてみた。それによれば、三嬌橋(さんきょうばし)から二本木に入り、最初の角を右折して少し行ったところにあったらしい。三嬌橋というのは電車通りから坪井川を渡る橋だが、かつては二本木遊郭への唯一の入口だったそうだ。そんなところにあったのかと、しばらくの間、当時の風景を思い描いた。


▼かつて二本木遊郭への唯一の入口だった三嬌橋


▼西日本で有数の遊郭として栄えていた頃の二本木遊郭





▼昭和33年の売春防止法施行後、大きな建物を利用して旅館業に転業した店が多かった。



 3年前に亡くなった俳優で、芸能・風俗に造詣が深かった小沢昭一さんは、週刊現代(昭和53年3月9日号)の特集「"男の郷愁"を行く あれから20年、旧赤線・遊郭再訪」の中で、二本木遊郭について次のように述べている。

 熊本も、芝居で回ると、必ず旧二本木遊郭に宿泊します。
 僕の泊まる家のはす前が、♪何をくよくよ、川ばた柳………、しののめのストライキ、さりとはつらいね、の唄で有名な、東雲楼がありましたが、壊されてしまいました。その取り壊し現場に、牢屋の木組みのようなものが、転がっていたのを発見したときは、ドキッとしました。
 座敷牢だったのでしょうか。いや、私の目違いかもしれません。
 裏へまわると、廃屋同然の建物がありました。よく見ると、それが、昔は、キンキラキンの、豪壮なものであったことが判るだけに、ある種の「凄味」が感じられました。
 古い、大きな女郎屋というのは、どういうわけか、怖いですね。