徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

鹿島大明神と中央構造線

2016-04-15 18:00:01 | ニュース
 昨夜来、メール、電話、ブログ、Facebookなどで多くの皆様にお見舞いをいただき心よりお礼申しあげます。今のところ、家族全員無事で、本当にありがたく思っております。余震はいまだ続いていますが、徐々に間隔があき、弱くなりつつあるような気がします。まだまだ油断はできませんが、このまま終息に向かうことを祈るばかりです。

 江戸後期の安政2年(1855)10月、江戸を襲った「安政の大地震」。家屋の全壊と焼失は一万四千戸以上、死者は七千人以上と伝えられています。江戸時代、地震は地下で大鯰が大暴れすることによって発生すると考えられていました。「安政の大地震」をきっかけに、大地震を起こしたという鯰や、それを押さえつける鹿島大明神など、鯰を題材とした多色摺りの「鯰絵」が発売され大ブームを呼びました。鯰を擬人化し、社会を風刺した「鯰絵」は、大災害に遭いながらもそれを洒落のめす、江戸庶民の「諧謔(かいぎゃく)」趣味にあふれています。
 東日本大震災の頃から「中央構造線断層」という言葉をよく見たり聞いたりするようになりましたが、実は、大鯰を押さえつけるという鹿島大明神のある茨城県の鹿島あたりを東端とする「中央構造線断層」の西端に位置するのが、今回の「平成28年熊本地震」の原因と言われる「布田川断層帯日奈久断層帯」なのです。古の人々は、経験的に鹿島大明神の位置的な意味に気づいていたのかもしれません。