徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

米屋とパイロットときりしたん

2020-12-25 16:48:57 | 歴史
 今日はクリスマス。ということで、ややこじつけめくが「きりしたん」にまつわるお話をひとつ。

 わが家の近所に森さんという老舗の米屋がある。この店のコワモテのご主人は僕よりひと回り以上も年上だが、高校の先輩で、僕は小さい頃から顔を知っていた。森さんは高校卒業後、防衛大学に進み、航空自衛隊に入ったらしいという話も聞いていた。僕が大学を卒業し、熊本に帰ってきた時、森さんはすでに自衛隊は退職し、家業の米屋の主人におさまっていた。
 僕がブリヂストンに入社してから3、4年経った頃、東京出張が多くなり、熊本・東京間の日帰りも度々だったが、そんな出張帰りのある日のこと、東京から熊本へのJAL便で、僕よりちょっと年上と思しきダンディな紳士と隣り合わせになった。この紳士、飛行機が滑走路を走り始め、離陸する瞬間まで、頭を傾げてじっと聞き耳を立てていた。僕は気にしない素振りでじっと目をつぶっていた。飛行機が上空に上がって安定飛行に入った時、その紳士が突然話しかけてきた。「いや、私もこの飛行機を操縦しますのでね、離陸と着陸は気になるんですよ」そうですかと答えた僕に「今日の機長は上手いですよ」と続けた。それから熊本に着陸するまでの間、お互いの身の上などを語り合った。その紳士はJALの機長さんだった。休暇で熊本へ向かうのだと言った。「ところで熊本のお住まいはどちらですか?」とたずねられた。「京町です」と答えると「それなら森さんはご存じですか?」「米屋の?もちろんよく知っていますよ」と答えた。紳士は「森さんは私にとって神様のような方です!」と言う。実はその紳士の航空自衛隊時代の操縦訓練の教官が森さんだったらしい。そして続けて「森さんは凄い腕を持ったパイロットでした!」僕はその時、米屋の主人、森さんの別の姿を初めて知った。
 その森さんのご先祖はキリシタンで島原の乱を指導した人物の一人と伝えられる森宗意軒(もりそういけん)。森宗意軒についてWikipediaには次のように紹介されている。

父は西村孫兵衛(森長意軒)。先祖の代から、河内国石川郡の水分五社大明神の南木大明神で神司を勤めていた。宗意軒は号であり、幼名は傅之丞。傅之丞は武士となって三左衛門と称し、小西行長へ奉公に出たという。文禄・慶長の役時に、行長の荷物を運ぶ船宰領(船頭)となって朝鮮へと渡航した。しかし途中で難破し南蛮船に助けられ、南蛮へ行く。オランダにも行き、6~7年間を過ごした。その後、中国で入廟老という者に火術、外科治療の法、火攻めの方法などを伝授した。日本へ戻ってきた時にはすでに行長は刑死しており、そのため高野山にしばらく身を潜めた。大坂の陣では真田信繁の軍について戦うが落城し、肥後国天草島へ落ちのび森宗意軒と改名して住んだ。島原の乱で戦死。弟子に田崎刑部がいる。熊本県上天草市大矢野町中柳地区に森宗意軒神社がある。

 また、山田風太郎の「魔界転生」では島原の乱を生き延びて、忍法で復活させた天草四郎や宮本武蔵をあやつる黒幕として登場する。


天草四郎乗船之地(天草郡苓北町坂瀬川 ※阿部正直さん撮影)



熊本大学教育学部付属中学校のコーラス「どちりなきりしたん」